Land of Riches
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なんか昨日メモ代わりに落書きをしてしまったので(しかも間違ったことを)、 まずはここを埋めることから。時間をさかのぼって書いていこうかと思ってます。
相馬(ヴェルディ)・中払(サンガ)・市川(エスパ)・永田(レイソル)・深澤(エスパ)。 この5人の共通点を答えなさい。
…もう答えは書いてあるんですが(苦笑)正解は「清水市立高部小学校」出身者、です。 参考:http://www1.ocn.ne.jp/~miwa.i/u-12.html 数多くのJリーガーを輩出している静岡県において、本年、最多輩出を記録しています。 (永田さんと深澤スケさんは今年のルーキーだから…)
「高部」は歴史をたどると、かつては「庵原郡高部村」で、昭和20年代末に 清水市の一部となりました(その後、飯田・袖師・興津と清水市はどんどん拡大します) これで、いわゆる“清水みなと”から離れているか、が分かってもらえると思います。 清水駅から西北西、静岡市との境目近く、東名高速の日本平PAと清水ICの中間あたり沿いに 高部小があり、実は同地区に高部東小(こちらもJリーガーを複数輩出)もあって、 この2小学校の生徒が集う清水市立第六中学校もまた、公立中学では県内最多の JリーガーOBを記録しています。あ、私立を含めば東海大一中がダントツですが。
清水のサッカーの歴史は、静岡県サッカー発祥の地・藤枝(ここでサッカーが 盛んになったのは、藤枝東高の校長がサッカーを校技(!)に定めてしまったことに あります)への対抗心から始まり、高校サッカーで勝つためには、その前の段階での 育成が必要と考えた人々により、清水の各小中学校は素晴らしい夜間照明完備率 (ちなみに小学校では100%(!)です)を備え、そこで脚を磨いた逸材を選抜し あの有名な「清水FC」が結成されたことで、その名を高めていきました。
サッカー少年の父母のためのチームも続々と生まれ、サッカーの街・清水の誇りは “上”への供給だけでなく、誰もがボールを蹴れる“幅”にもあります。 ちなみに、公式に所属可能な最年少のチームは四種(小学校のスポーツ少年団や Jクラブのジュニアが該当)ではなく、その下、3歳から入れる「チャイルド」という カテゴリーがあります。保育園でボール遊びを始めた市川さんがチャイルドへ 入りたかったのに、兄3人がサッカーで芽が出なかったのを見てきた両親の反対で 阻まれた(野球を始めてほしいという親の願いは、3年からしか野球の少年団が なかったことと、市川さんがお誕生日会で自分だけサッカーをしていない疎外感に 耐えられなかったこととで破れ、ついに高部小1年から本格的に始めることと なりました)話は、知っている人なら知っているかもしれません。
今でこそサッカーに関してはアンダーエイジ中心にかなりの雑食性だと我ながら 思う(苦笑)私ですが、サッカーファンを始めたばかりの頃は、代表の大半が 静岡というか清水ゆかりの人々(例:藤田俊哉、相馬直樹、名波浩…)だったので そこら辺から食いつき始め、必然的に(…)『GOAL』という雑誌と巡り会いました。 今はエスパルスが発行している、割と硬派路線の本ですが、昔はミーハー度が高く(笑) 初蹴りの写真を見ては「ふーん、この人とこの人は同じ学校の出身なのか」なんて 思ってました。GOALで学んだ最大の知識は、選手の出身小中学校です。 普通の年鑑のサッカー歴は、二種(高校かクラブユース)から始まります。 最近は前所属しか書いてないことも多いです。選手の流動化が進むと、所属チームを 列記していては追いつかないのですね。でも、GOALは必ず小学校から。 …サッカー不毛の地(近頃はそうでもないか)で育った人間には、分かりづらい感覚です。
そして、来年、「清水市」はこの世から消えてなくなります。浦和市のように。 静岡市は政令指定都市を目指しているのです。けれど、浦和レッズや 大宮アルディージャがその名を継いでいるように、きっと清水エスパルスが 歴史をとどめるのでしょう。本来、地名というのは歴史の結晶であって、 安易に変えるべきではないと思うのですが、もう合併が国家方針ですからね、今は…。
個人的には菊地くん・成岡くん・高林さんのキャリアが知りたいです。 こっそり教えてくれる方を絶賛募集中。
2002.8.17wrote
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