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くそぅ…悲鳴が出そうなほど記事が多いよう…(特に追記(笑)) >市川の清水工時代の恩師で、3年間担任を務めた島田岩男教諭(56)は >歴史的瞬間をテレビ観戦した。代表合宿前日に学校の体育館で行われた壮行会では >「とにかく頑張ってこいよ」と市川を励ましたという。後半から出場し、 >中田のゴールを演出するなど最高のパフォーマンスを見せた教え子に >「素晴らしい試合を見せてもらって逆に勇気づけられました。感動しました」と >感激しきりだった。 オマケ:同ページのヒデさんのコメント一部。 >「イチのボールが良かった。あそこは決めないといけない」 http://www.nikkansports.com/news/soccer/p-sc-tp0-020615-02.html >市川の目の前に、ゴールへつながる「軌道」が見えた。 >戸田からのロングパスを受け、スピードに乗ったドリブルでゴール前へ切れ込む。 >鋭いフェイントでDFを振り切ると、後は自慢の右足に全神経を注ぐだけだった。 >カーブをかけたクロスが、中田英の頭にピタリと合った。 >日本の決勝トーナメント進出を確実にする会心のアシストだった。 >>自分の役割に徹した。後半から投入された切り札として攻め続けた。 「それまで何回かクロスを上げてうまくいってなかったけど、心配していなかった。 >最後のは、狙い通りだった」。体からわき起こる興奮が抑えられなかった。 >前回フランス大会直前に最終メンバーから落ちた過去が、市川を成長させた。 >「自分が求めていた舞台で得点に絡めて幸せです」。この日まで流してきた汗は、 >この感激を味わうためだった。 >初戦のベルギー戦は先発出場。この日は「流れをつかみにくい」と >苦手にしている途中出場だった。それでも、求められていることは分かっていた。 >「動き回ろうと心がけた。自分で積極的に仕掛けていったことで点が生まれた」と、 >胸を張った。期待に応えた充実した笑みが、まぶしく輝いていた。 最後に…うわー、嫌な(←失礼な!)ページ見つけてしまった…恐るべし地元紙。 このページ(↓)どれだけ長くなるのだろう…(微苦笑) http://www.sbs-np.co.jp/shimbun/wcup/ichikawa.html (2002.06.15朝刊) >MF市川大祐(清水)が日本の決勝トーナメント進出を確実にする2点目をアシストした。 >見事なクロスだった。後半30分、右サイドから放った鋭いボールは >走り込んだ中田英の頭にピタリと合いゴールに吸い込まれた。 >チュニジアの望みを完全に砕く追加点だった。「得点に絡め、チームの勝利に >貢献できてすごくうれしい」と言葉も弾む。大仕事を果たした >右のサイドアタッカーは両こぶしをにぎりしめてガッツポーズを繰り返した。 >中田英も「1―0とした状況でも相手にチャンスはあった。 >個人的よりもチームとして非常にうれしい」と2点目の持つ意義を強調した。 >後半開始から森島とともにピッチに飛び出した。「DFの裏でボールを取るように」。 >ベンチからの指示。空を見上げ大きく息を吐き、「よし行くぞ」。 >自らに気合を入れた。だが、ピッチの上は予想以上の蒸し暑さ。 >「途中で息が上がり周りが見えなくなるほど。しかし、相手も同じ条件。 >ミスを恐れないで行こう」。自らを奮い立たせ積極的プレーを続けた。 >森島のゴールで1―0。しかし、同点を狙うチュニジアの攻撃も鋭さを増す。 >そんな中で生まれた貴重な2点目。それを演出したのが「こだわり続けてきた」 >アーリークロスだった。戸田からパスを受けフェイントを掛けながら次の瞬間、 >右足を振り抜く。「思い描いた通りのクロス。 >(中田英と)ぴったりのタイミングだった」。ポーランド戦に続く >中田英とのコンビで奪った得点を満足そうに振り返った。 (2002.06.08朝刊) >サッカーのW杯日本代表は7日、周智郡森町の代表メディアセンター・JAMPSで、 >MF市川(清水)、FW鈴木(鹿島)の2選手の個別会見を行った。 >4日のベルギー戦でフル出場した市川は“夢の舞台”でのプレーを分析した上で、 >「勝ち点3をしっかりつかみたい」とロシア戦(9日)勝利へ強い決意を口にした。 >スタメンで待望のピッチに立った市川。激しいプレーの応酬、緊張感の中で戦った >90分間に、「気持ちよくやれたが、最後は目に見えない所で疲れがあった」。 >その疲労も2日間の休養で取れ、今はロシア戦へのコンディション調整に集中する。 >5日は、ロシア―チュニジア戦をテレビで観戦した。「ダイレクトのパス回しがうまく >技術がしっかりしている。高さもあり全選手が怖い」。ロシアの印象を話しながらも、 >「まず一対一で負けないこと。DFに速さは感じない。中盤が空くので素早い攻撃、 >ドリブルを仕掛ければチャンスも多くなる」と、右サイドの突破に自信も見せた。 >ロシアと練習試合をした清水エスパルスの同期、谷川選手からアドバイスも受けた。 >「思い切ってやれば大丈夫だと言われた」とにっこり。だが、ベルギー戦は >逆転した8分後に同点弾を許しただけに、「相手が変わってもやるべきことは一緒。 >自分たちのスタイルを自信もってやるが、90分間集中し、 >最後まで一丸でやらなければ」と気持ちを引き締めた。 >宿舎は当初、洋室だったが、「家ではずっと布団で寝ているから」と和室に変更してもらった。 >「和室の雰囲気が好き。生活のリズムも変わらない」と満足そうに話しながらも、 >「(宿舎の)ビリヤードは全然勝てない。みんな僕に勝って自信を付けている」と >苦笑い。最年少として“役目”をこなす、逸話が笑いも誘った。 (2002.06.05朝刊) >ついにラインの向こう側に立った。四年間、ひたすら求め続けた夢が四日、かなった。 >市川大祐選手(22)=清水=。スタメンで、しかもフル出場。 >定位置の右サイドを思い切り駆け上がり、四年分の思いを込めたクロスを >挙げ続け、ベルギーの攻撃に必死の守りも見せた。 >清水工高三年だった四年前の六月十四日、フランス・トゥールーズで行われた >W杯の日本―アルゼンチン戦をベンチで見た。その二カ月前には日本史上最年少の >代表デビューも飾った。が、直前のスイス合宿で三浦知良、北沢豪の両選手とともに >最後の最後にメンバーから外れた。当時の岡田武史監督から「残るか」と聞かれ >「お願いします」と答えた。ベンチで座る胸には「スタッフ」のIDカードが揺れていた。 >「タッチラインまでひとまたぎなんだけどピッチがすごく遠く感じた」 >フランスから戻り、気持ちを切り替えて練習に励んだ。 >何事にも妥協しない練習の虫と周囲の人は口をそろえる。 >しかし、夢の実現は簡単ではなかった。各年代の代表試合もこなし、休む間もない。 >体全体がだるくなった。思うように動けない。オーバートレーニング症候群だった。 >じっと体を休めた。シドニー五輪では予選には出たが、本大会のメンバーからは >またもれた。なかなか「世界」に縁が無かった。 >チームでも不調で、メンバーから外された時もあった。代表入りも同じだ。 >昨年二月、トルシエ監督になって初めて代表候補合宿に呼ばれた。 >その後も何度も参加したが、最後はまたもれる。「万年候補」の域を脱しきれなかった。 >が、くさることはなかった。「あの時市川を連れていったのは >間違っていなかったと言われたい」と燃えた。ことし一月、再び代表候補合宿に呼ばれた。 >「ここでアピールしなければいつするんだ」。昨年暮れにねんざした右足首の >腫(は)れはなかなかひかなかったが、夢への挑戦をあきらめることは決してなかった。 >合宿でも、Jリーグでも常に全力プレーを披露し、自力で代表のユニホームを手にした。 >夢の一つは実現した。しかし、もう一つの思いはあと少しのところで逃した。 >「チームの勝利に貢献したい」。日本代表最年少選手は次戦に向け、さらに気持ちを高める。 (2002.06.05朝刊) >MF市川がスタメンでピッチに立った。持ち味が爆発したのは前半20分。 >チームメート戸田からの縦パスを受け、スピードに乗って右サイドの突破を試みた。 >抜ければ絶好のチャンス。ベルギーDFは反則で止めるしかなかった。 >「いいプレーが出て、落ち着いた」。これで波に乗ったプレーを連発してチャンスメーク。 >何度もスタンドを沸かせ、「監督には前で張れと言われていた。いいプレーができた」。 >しかし、同点に追いつかれ、「欲を言えば勝ち点3が欲しかった。やはり世界は甘くない」。 >世界最高峰の大会のすごさを実感しながらも、「いい経験になったし、自信にもなった」。 >試合の余韻に浸るのはそこまで。すぐさま初勝利へ闘志を気持ちを引き締めた。 (2002.05.31夕刊) #やぶ註:おまけ記事ですけどね…。 >大石和孝さん(清水エスパルスJユースなどで監督として指導、 >ジュビロ磐田サテライト監督、44歳) > >「“イチ”には将来、世界のトップ選手になる才能がある。 >クロスを武器に今回のチャンスを生かし、世界に出ていく足掛かりを作ってほしい。 >ジュニアユース時代にはほかの中学生と比べても目立った選手ではなかったが、 >とにかく練習に取り組む姿勢が抜群でプロ意識も強かった。 >どんな練習にも自分のテーマを持ち、百%の力を出していた。 >心拍数を上げた状態で練習を重ねてきたおかげで、 >右サイドを駆け上がってのアーリークロスの精度が上がってきた。 >ジュニアユース入団当時は中盤のポジションを満遍なくこなしていたが、 >前にスペースがあった方が持ち味が生きると思い、右サイドバックに固定した。 >当初こそ、ディフェンス時に相手との間合いが取れずに悩んだが、 >持ち前の負けん気で克服した。 >“イチ”は自己分析力に優れ、悔しさと自信の積み重ねで伸びていく選手。 >今大会で世界に自分の力がどれだけ通用するのか試すことで、 >もう一つ上のステップに上がるはず。年齢的にも次、またその次のW杯もある。 >挑戦する姿勢を持ち続けてほしい」 (2002.05.18朝刊) >市川(清水)が最年少で日本代表23人に名前を連ねた。4年前、17歳の高校生で >衝撃的な代表デビューを飾りながらも、W杯ではピッチを踏めなかった右サイドアタッカー。 >「名前があってうれしいの一言。(4年前は)親にも辛い思いをさせた」と >代表入りした感激をかみしめた。 >苦しい道のりだった。昨年は何度も代表候補合宿に呼ばれながらも、“万年候補”。 >だが、自分のプレーを信じ、「今度こそ」の思いは失わなかった。 >今年初の代表親善試合となったウクライナ戦で、代表復帰を果たしたが、 >「まだスタートライン。このチャンスを生かしたい」。 >目標はW杯、必死のアピールを続けた。 >代表入りに大きく前進したのがポーランド戦。2得点に絡む活躍で、攻撃力が一躍、注目された。 >だが、予断を許さないサバイバルが続いた。不安もよぎったが、 >「スタッフ」のプレートを下げて試合を眺めるしかなかった4年前の悔しさが、 >心の支えでもあった。「あのとき市川を連れていったのは間違っていなかったと >言われたい。この手で(代表を)つかみたかった」。 >W杯後のオーバートレーニング症候群による戦列離脱など、多くの苦労が報われた。 >しかし、感激に浸っている時間はない。「勝負はこれから。 >今までやってきたことを表現したい」。若武者の言葉は力強い。
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