Land of Riches


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 2001年04月22日(日)   ルート16 

現在の職場では、前月25日に翌日のシフトが締め切られます。
しかし、私は26日のワールドユース組み合わせ抽選会が終わって…いくらあれば
アルゼンチンへ行けるようになるか概算できないと、5月、動くことができません。
手帳へ試合などのスケジュールは書き込んでいるのですが、いまだ正式決定はゼロ。

金銭的には、この調子だと、行けるか行けないかの瀬戸際ぐらい…。
(収入ではなく時間の自由で人生選択してしまったので自業自得)

行きたい気持ちと、そうでもない気持ちのせめぎ合いです、毎日、毎日。
どんな愛しい人のどれだけ大切なシーンでも、見られなかったら見られなかったで、
直後こそ地団駄踏みますけど、時と共に消去―またはテレビ越しで補正―されてしまうんです。
本山さんのJリーグ初ゴールなんか、その典型。あのシーン自体の重みが軽くなっている気がしますけど、
絶対にそんなことはないはずで、それは自分をごまかすための(おそらく無意識的な)感覚操作。
印象なんて主観に支配される、いや、主観そのもの―瑞穂の試合のサカマガ・サカダイ採点を見て痛感しました。

欠点として指摘する人もいますが、私は(物理的にも比喩的にも)視野が狭く、趣味は“狭く深く”追求するたちです。
スポーツ>サッカー>日本>ユース代表みたいな。その昔スポーツ>プロ野球>スワローズ>投手だったように。
サッカーはスポーツの一種であり、必然的に勝ち負けが絡んできて、それによる(疑似)躁鬱を味わわされます。
趣味でブルーになる、ここがスポーツ観戦のnotイコールpastimeたるゆえんかと思います。

好きなことを仕事にしなかったのは、追い込まれた時の逃げ道をなくしたくなかったから。
でも、逃げ道もたくさん用意しておかないと、“所詮趣味でしかないこと”で追いつめられる、
はた目から見たらばかげている人間になってしまうのです。いや、本人は真剣ですけど。

一人の選手を見続けるのは辛いです。特に、サッカー選手にはケガがつきもので…華々しい時だけ
歓喜を共有して、リハビリで闘っている際の苦悩からは目を背けるのが欺瞞という意見も分かります。
でも、何もできないので、辛いんです…歩けるようになった、走れるようになった、
そんな追いかけ方をするのは、もう、金古さんだけで充分です。もういいです。
だから、ボールを蹴れなくなった人については、ただ、待ってるだけにしたいんです。駄目ですか?

愛は…熱情は距離と反比例する、あるいは持続に努力が必要である、もっともです。
成り行き任せが一番いいんです。気の向くままに浮気。だって、理性で好みを変える、
または維持するのは非常に苦痛ですから。そのステップを踏んだ上で、私は自分を放置してるんです。
恐怖と隣り合わせに―もし“その時”(リアルタイム)どうしても羽田を追い掛けたいというなら
行けばいい、そういう思い付きで行けない距離だから、悩みは深まるのですが。

ソラヲミナヨ開設以降は、義務感によってもありますけど、どのチームよりもユース代表を見る時間を
長く取ってきて、そのチームが“強制終了”を迎えようとしている今、何をすべき(notしよう)か、
リミットという概念自体受け付け難い現在の私の脳では、ろくに考えもできないのですが、
それでも、できることは「する」か「しない」のどちらかで…そうでしょジタン、いやソータ?(FF9ネタ)

遠くから眺めたら一本の線―でもよく見ると点の集合体。その一つ一つの点は限りなく小さいけれど、
どの点だって、一つでも欠けていたら、連続した線にはならない、きっと歴史ってそんなもの。
“私にとって”ワールドユースは3度目(中田英寿・松田直樹・熊谷浩二の代もリアルタイムで情報は
ゲットしてますが、ほとんど興味がなかった)ですが、前回より忘れ難いものであるのを祈ります。
前回は…遠くで=ブラウン管越しに見ていて、あんなに感情移入したのも珍しかった…。

願わくば…“私の”過去二度のワールドユースは10番のためにあった(断言)………今回……………。
(ナイジェリア大会のメンバー@ヒガシOB以外に愛着が湧いたのは、ほとんど大会に入った後です。終了後?!)

曜日感覚が失せてなくなりそうです。
これを書いている現在 2001.4.23 は月曜日のはずですけど、土曜にサテ(普段は日曜にある)を見たためか、
どうも一日ずれている(苦笑)―今は指折り数えて木曜を待つのみです。何を持っていこうか、とか。
大きな望みは持ちません。小さな願い、いくつも抱えて。

今日の一言:「いい、って言ってもらえたんですか?」


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