anxious for Heaven

鳥かごなんて、最初からなかった。

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2004年08月26日(木) わらっていきる。
25日。

高校時代の女友達CHACO&TINAと3人で待ち合わせ。
同じく高校時代の友人であるT君の新居にお邪魔をする。
彼は、今春結婚したばかりの新婚さん。6年の恋の末のゴールイン。

高速に乗り、県内とは言え少し離れた場所へ。
幸い、私は昔そこの市内に住んでいたので、土地勘がある。

私は今年に入ってからT君と食事をしたけれど(結婚の報告を受けた)
あとの2人は、数年ぶりの彼を見て目を丸くしていた。
40kgもダイエットしたのだから、当然面変わりしているわけで。
奥様のことは、初対面とはいえ彼の片思い時代から話に聞いていたし
一度破局したときには、荒んだT君と語ったりもしたので、既知の間柄のよう。
高校時代の懐かしい、そしてくだらない話でひとしきり盛り上がる。

昼過ぎて食事に行き、また彼の家で写真を見たりして、15時ごろお暇を告げる。

帰りは一般道。車酔いした私のために、途中のボウリング場で休憩。
3人でダーツをしたり。CHACOとTINAがビリヤードをやり始めるも、私は一人ダーツ。
カウントアップを4ゲームやって、アベレージは330くらい。3×8投。まだまだ下手。

TINAが職場に寄ると言うので送っていき、その後二人でショッピングモールへ。
アクセサリーショップをぶらつくと、『栃木記念』にエスニック風のピアスを買ってくれた。
ピアスホールは塞がっているので、イヤリングパーツを買い、自分で交換。
隣のエスニック雑貨の店で、CHACOは衣類とバッグを購入。
私はなけなしのお金で、ヘマタイトとアメジストのペントップと革紐を購入。
オムライスを食べて帰路に着く。

帰ってから、革紐を編んで二つのチョーカーを作りながら、いろんなことを思う。

高校時代にも、きっと潜在的に病気の素因はあった。記憶が途切れることも稀にあった。
小学生で発病して、一旦安定した後も、きっと素因は眠ってた。
みんなが大学に行き、就職していった頃の私は病院の中で
楽しかった!とは断言できない時期を過ごしていた。
でも、じゃあ充実していなかったのかというと、決してそうではなく
きっと仲間内の皆とは違う面で、充実した毎日だったんだろう。

高校時代は、Kyoさんがリーダーで、シロー達がすぐ後ろにいて
僕とTINAさんが一番後についていってたよね

とT君に言われた。
今でも計画をきちっと立てるのはKyoだよね、とTINAも笑う。
そう思うと、私の本質はあまり劇的には変化していないのかもしれないし、それで構わない。
かなり遠回りはしたけれど、きちんと元の軌道線上に戻ってくることが出来たのだろう。
ある面では後退、またある面では進歩、でも本質は私であることになんら変わりはなくて。

そう、多少記憶に不都合が出ようと、忘れることがあろうと
変わらないじゃん。私は私として存在できているんだもん、消えたりせずに。

積み重ねてきた時間と
積み重ねてきた事実は
私に何があろうと変わらずに
ただ受容体である私の心が
様々に変遷していくだけで
もし私が忘れても
覚えている人がいる限り
もし私が変わっても
戻らない流れがある限り
決定的に消えることはないんだから
そんなにこわがって不安になることはないんじゃないか

そう思えてしまって、昨夜の峻巡や錯乱具合が馬鹿らしくなった。

忘れたくはない。
だけど忘れても、それが消えるわけじゃない。
良かったこともそうでないことも、なかったことにはならない。
ただ、簡単に見つからない引き出しの中に仕舞い込んだだけで
ふとした拍子にまたいつか、偶然その引き出しを開けてしまうかもしれない。

必ず再び開けられる、とは限らないけれど
引き出しそのものがなくなってしまったわけではないから

覚えていない、でも確かにそれはあったし、今もどこかにある

そう思えば、随分気も楽になるってものだ。
だから私は大丈夫なんだ。強がりでなく、心から。

冬寿もYosshyも林檎もシローも
CHACOもTINAもT君も他にも
私に関わった全ての人が
消えてなくなるわけじゃない
誰かが何かを覚えていてくれる
誰かの何かを覚えていられる
皆の中の私も
私の中の皆も
ゼロにはならないから

明日もまた笑って生きていける。生きている価値がある。

笑って。
生きていける。
そう思えばまた笑える。
そうやって最後まで。




引っ越しまで
あと21日。

一緒にいられると思ったのは
たぶん、間違いじゃない。
written by:Kyo Sasaki
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