橋本裕の日記
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2008年03月11日(火) 近代の心を持った古代人

E・T・ベルは「数学をつくった人々」(ハヤカワ文庫)で「古代最大の知性であるアルキメデスは、骨の髄まで近代的である」と書いている。彼は「近代人の心をもって生きた古代人」だといえるかもしれない。何が近代的かといえば、たとえば彼は徹底した合理的実証精神の持ち主だった。ベルの言葉を引用しよう。

<アルキメデスがしばらく生き返って数学と物理学の大学院課程をとることができたとしたら、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルグを、彼らがたがいに理解しあっている以上に、もっとよく理解したことであろう。

すべての古代人のうちでアルキメデスだけが、何物にもとらわれない自由な思考をした唯一の人である。この自由こそは、今日偉大な数学者たちが25世紀の苦闘の結果獲得したと自負しているものなのである>

 彼は「てこの原理」(仕事の原理)を発見した。アルキメデスはシラクサの王に、「立つべき場所を与えよ。そうすれば、地球をも動かしてみせよう」と言ったらしい。

たしかに「てこ」をつかえば小さな力で大きな物体を動かすことができる。彼は実際にこれで巨石を落下させ、押し寄せてきたローマ軍を撃退した。彼のためにローマ軍はなかなかこの小都市を落すことができなかった。

 アルキメデス(BC287〜BC212)は最後、ローマ軍の兵士に殺された。なんでも円の研究に没頭していて、彼が地面に描いた円を兵士が踏んだのをとがめたため、その兵士に殺されたのだという。このときアルキメデスは75歳だった。

 アルキメデスのこうした逸話について、私たちがあれこれと知ることができるのは、ローマの伝記作家プルタルコスのおかげである。しかし、アルキメデスを殺したローマ軍の将軍マルケスについて、プルタルコスは多く書いているが、アルキメデスはそのなかのひとつの挿話でしかない。

<プルタルコスは数学の王者よりも、ローマの武人マルケスのほうが歴史的に大切だと考えたらしく、後者の伝記のなかにアルキメデスのことを、まるで厚いサンドイッチのなかの薄いハムのようにはさんでいる。だが今日ではマルケスが記憶され、そして呪われるのも、主としてアルキメデスのおかげといえよう>

ベルは「アルキメデスの死において、きわめて実際的な文明が、自分より偉大なものに初めてぶつかって、それを滅ぼしたのを、われわれはつぶさに見ることができる」と書き、「ギリシャにこそ栄光が、ローマには尊大があった」というE・A・ポオの言葉を引用している。

これにはいささか異論があるかも知れない。しかし、がいして数学者がローマを見る目は厳しい。その根底にはローマ軍のアルキメデス殺害という事件が影を落としているのだろう。

 なお、アルキメデスは古代における偉大な物理学者だったが、それ以上に偉大な数学者だった。こんにち歴史に残る三大数学者といえば、アルキメデス、ニュートン、ガウスと相場が決まっている。そして、なかでもアルキメデスの評価はますます高くなっている。その理由をあしたの日記に書いてみよう。


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