橋本裕の日記
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2008年03月09日(日) 静かならざる日々

第三章 いわし雲(1)

 信夫はその日、少し早く目が覚めた。何かの夢を見ていたようだ。どこかの砂浜の海岸を、女と二人で歩いていた。波打ち際の砂の上に、二人の影が伸びていた。

女は静子かもしれない。静子だとすると、歩いていたのは若狭の海岸だろうか。彼女の実家が高浜の駅から歩いて20分ほどのところにあった。信夫は婚約のあいさつにその家を訪れたことがある。

家から海岸までが近かった。夏場は海水浴客が押しかけてくるそうだが、そのときはまだ春先で、海岸はひっそりとしていた。松の緑がうつくしかった。

静子の家に一泊して、翌日には近くの海岸沿いにある山に登った。標高が600メートルほどある休火山で、海岸から眺める山の姿は美しかった。地元では「若狭富士」と呼ばれているらしい。山頂の岩の上に登ると、若狭湾が一望できた。山頂に人気がなかったので、そこで信夫は静子の唇をはじめて吸った。

信夫にとって、口づけするのは初めての体験だった。ぎこちない接吻だったが、そのとき信夫は静子をじぶんの大切な一部のように感じた。山を降りてふもとの海岸を歩きながら、静子も少し打ち解けて、自分の生い立ちなどを話してくれた。

静子は高浜の駅から電車で毎日小浜の高校に通った。そして高校を卒業すると、名古屋の芸術短大に進学した。ピアノが好きで、将来はピアノの教師になるのが夢だった。そこで英子と知りあった。英子が神岡と結婚し、その関係で信夫との縁ができた。

しかし、実のところ、二人の縁はそれ以前からあった。信夫は小学生の5年間を小浜で暮らしている。5歳年下の静子はもちろんまだ信夫と接点はなかったが、それでもそのことが二人にある親しみをもたらしてくれた。たとえば小浜公園にいたツキノワグマのことを静子も覚えていた。

「港にはたくさんの漁船が停泊していてね、小学生の頃、よく写生に行ったものだよ。桟橋のかたわらに警察署があった。僕の父はその小浜署で刑事をしていた。僕たちの一家が住んでいたのは、そこから少し離れた電報電話局の近くの長屋の官舎でね……」

寡黙な信夫もいつになく口数が多くなっていた。静子は小浜港の漁船の賑わいや、小豆色をした三階建ての警察署のこと、電報電話局のことも思えていた。二人にそんな共通の話題があることがうれしかった。

そんな会話を弾ませたあと、海岸の松林の陰で、信夫は二度目の接吻をした。そのとき、信夫ははじめて片手を静子のセーターの胸の上においた。静子の乳房の弾力が伝わってきた。

これまで女性に縁がなかった信夫だったが、この体験が眠っていた欲望を目覚めさせた。結婚するまでの数ヶ月、信夫は人が変ったように、静子のことを考え続けた。会うたびに静子の唇を求め、胸や太ももに手を触れた。

信夫の欲望はふくらむばかりだった。静子は戸惑いながらも、少しずつ要求を受け入れた。そして、秋のある日、静子は信夫にすべてを許してくれた。信夫は庭木の葉越しに薄日の差し込む淋しい部屋で、静子を自由にした。

ことが終わった頃、いつか日差しが傾いて、部屋全体に木漏れ日がひろがっていた。その中に、静子の象牙のような白い裸体が溶け込んでいた。静子は目を閉じてしばらくじっとしていた。しかし、突然に眼を開けると、冷たい眼で信夫を見つめた。

信夫はどぎまぎし、あわてて彼女に寄り添った。そうして、信夫はふたたび静子と交わった。そんなことを繰り返しているうちに日が暮れていた。

結婚してしばらくすると、信夫は静子の肌を見ても、さほどの欲情を覚えることはなくなった。そして春江が生まれた後は、静子と交わることはめっきり少なくなり、信夫はもとの禁欲的な生活に戻っていった。

蒲団のなかに寝転びながら、信夫は静子との歳月を思い出した。そして壁にかけてあるカレンダーに目が行った。静子が死んだのが10月12日だった。今日がその命日のような気がした。それで夢の中に静子が出てきたのかもしれない。

しかし実のところ、今日が何日か自信がなかった。何曜日かもわからない。そして最近は道に迷うことも多くなった。もともと信夫はぼんやりしたところがあったが、退職して仕事から解放されたことで、さらに脳の老化が進んだのかと、少し淋しくなった。


橋本裕 |MAILHomePage

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