橋本裕の日記
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2008年02月24日(日) 静かならざる日々

第二章 暑さの残り(3)

JR木曽川駅には各駅停車しかとまらない。それでも途中、尾張一宮、稲沢、清洲、琵琶島にしか停車しないので、名古屋駅まで25分でつく。妻を亡くしてからは滅多にJRは使わなかったが、こうしして久しぶりに乗ってみると、こちらの方が便利で早い。

名古屋駅で手土産に伊勢名物の「赤福」を買った。これが神岡の好物だった。信夫はあまり甘いものは口にしない。と言って、アルコールもほとんど飲まない。タバコも吸わないし、女遊びやマージャンもしない。だから、神岡に「おまえは仙人のようなやつだ」とよく冷やかされる。

 信夫はとくにこれという道楽があるわけではない。あえて好きなことといえば、科学や哲学の勉強をすることだろうか。中学生の頃は自分でモーターを作ったり、顕微鏡でプランクトンを観察したりするのが好きな少年だった。高校生の頃には、ラッセルの「数理哲学序説」やカントの本を読んだ。アインシュタインや湯川秀樹のような科学者にあこがれたこともある。

しかし、大学院で信夫は挫折を体験した。コンピュータを使って専門的な計算をしたり、論文を書くために外国語の文献を読むのが苦痛になった。そのうえ、助手、講師、助教授、教授と続く大学の身分制度のなかで生きていくのが息苦しく感じられた。

信夫はそんな牢獄のような世界から逃げ出すようにして、高校の教師になった。大学院の4年間に支給された奨学金の合計は200万円を越えている。教職につけばこの奨学金を返さないですむ。これも大きな魅力だった。

信夫は研究者になりそこねて、生活の必要に迫られて、仕方なく選んだ道が高校の教師だったわけだ。とくに教師になりたかったわけではないし、もともと人嫌いの傾向がある信夫が、子どもの人格形成にかかわる教職にむいているとも思えない。

こうした消極的な姿勢で30年以上も教師をしていたわけだから、生徒たちにもあまりよい影響を与えなかったことだろう。その証拠に、信夫は生徒に人気がなかった。神岡のまわりには生徒たちの笑顔がはじけていたが、信夫のまわりには誰も寄り付かず、いつもひっそりとしていた。

信夫は授業がないときは職員室の机に向かって数学や物理の本を読んでいた。論文を書かなければならないという重圧から解放されて、学問の面白さを味わうゆとりができた。信夫が教師になってよかったと思うのはそんなときだった。

神岡は信夫を「勉強家」だと褒めてくれた。「おれはお前とであって、勉強の楽しさを教えられたよ」とも言った。こういうふうに、岡本はいつも他人の良いところを褒める。だから生徒にも人気があるのだろう。信夫も自分を認めてくれる神岡には心をひらくようになった。

 神岡と信夫は性格が違っていたが、そのせいで友達になれたのかも知れなかった。神岡のそばにいると、信夫は緊張がほどけて安らいだ。神岡は信夫にとって、何かのときに頼りになる兄貴分のようなものだった。今も信夫はマイナスの電気が陽極に吸い寄せられるような心持で、神岡の家に向かっていた。神岡の家に行くのは何年ぶりだろうか。

 信夫は名古屋駅で地下鉄の東山線に乗り換えた。沿線に栄や今池、東山動物園がある。信夫はその先にある「星が丘」というところで電車を降りた。いつもはそこからバスに乗るが、今日は歩いてみることにした。

 なだらかな住宅地の丘を越えて、20分ほど歩いていくと、少し大きな公園に来た。そこに池があり、中央に浮御堂がある。娘の春江が小さいころ、この池によく連れてきた。池には水草が茂っていて、鯉や亀が泳いでいた。それから季節になると渡り鳥もたくさんやってきた。

 その頃と比べて、池の様子が違っている。池の周りに遊歩道ができて、木立や潅木も整理されてずいぶんすっきりしていた。その分、池に生き物の姿が少なくなった。こうさっぱりしては、野鳥も子育てはできないのだろう。そんなことを考えながら、信夫は浮御堂の手すりにもたれて、しばらく池を眺めた。

 その公園から神岡の家まで5分ほどである。信夫はもう何度も歩いたことのある坂道を登った。敷石や回りの木立に見覚えがある。あたりの風景は20年前とほとんど変わっていない。公務員宿舎の建物のある敷地の前に、少し古びた家が長屋のように肩を寄せ合って4軒ほど並んでいるのが見えた。

 みんな同じつくりの木造平屋建てで、その一軒が神岡の家だった。そしてその隣に信夫が新婚時代から10年あまりを過ごした家があった。いまその家はしずまりかえり、人が住んでいる気配はなかった。

神岡の家の門柱を入っていくと、中からピアノの音が響いてきた。何かの童謡である。英子が弾いて、典子に聴かせてやっているのかも知れない。信夫は勝手を知った身内の人間のように玄関の戸をあけて、「こんにちは」と声だけかけて、靴を脱ぐとそのまま上がった。

 座敷でステテコ姿で寝転んで本を読んでいた神岡が、信夫に気づいて、「おお、来たのか」と起き上がってあぐらをかいた。襖が開いて、典子が襖から半分顔を出して信夫を見た。

その後ろから英子が、「あら、いらっしゃい」と襖を大きく開けて顔を出した。ピアノを弾いているのは英子ではなく、春江のようだった。信夫は英子に頭を下げると、「赤福を買ってきた」と神岡の前に大威張りで置いた。「これは何より」と、神岡は大げさに相好を崩した。


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