橋本裕の日記
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2008年02月22日(金) 脱会社・脱社会のすすめ

昨日は「脱学校のすすめ」を書いたので、今日は「脱会社のすすめ」さらに進んで「脱社会のすすめ」を書こう。以前から日本人は会社人間だといわれてきた。会社は社員の衣食住といった生活の面倒をみるだけではない。冠婚葬祭からレジャーや人生相談まで、会社がお世話をしてくれた。

大企業は社員専用の保養施設をもっていたし、企業独自でさまざまな福利厚生をおこなっていた。その分、日本社会の福祉制度は貧弱で、一流企業の社員になるか、中小企業の社員になるかで、人生の内容がずいぶん違ってきた。

そこで世の親たちは、こぞって子供を一流大学へ進学させようとする。そうすれば一流企業へ就職する道が開けるからだ。少し前まで、日本はこうしたしくみで動いてきた。しかし、アメリカから押し寄せてきたグローバル経済の波が、日本のこのしくみを破壊した。

この新しいスタンダードだと、企業は株主の独占物だ。会社の経営者は株価を上げ、株主をもうけさせなければならない。だから、株価を上げるためには、ときには大胆な解雇をする。社員はこれまでのように安閑としていられなくなった。

年功序列や終身雇用が日本企業の特色だったが、これが崩れて、臨時雇いの非正規社員や派遣社員が増え続けている。企業がドライになった分、人々の会社に対する意識も変わってきた。これまでのように会社に対する帰属意識も希薄化し、忠誠心も薄れてきた。

企業がこういう風に変わってきたのは、産業資本主義から金融資本主義へと、世界の経済のしくみがおおきく変わったためだ。お金があれば会社を買収できる。だからマネーをたくさん集めたものが勝ちになる。そのしくみが「ファンド」と呼ばれるもので、いまこれが世界を支配している。

「マネーが人間を支配する」ということは、ほんとうはとんでもないことである。ところがこの「とんでもないこと」が普通になってしまった。そうすると、「とんでもない」という意識さえなくなってしまう。恐ろしいことだが、こうして現代人は正気を失ってしまった。私たちはいまこうした「狂気の時代」に生きている。

こうした狂気のなかで、正気を保って生きて行くのはむつかしい。しかしなんとか生きていかなければならないし、またどうにか生きていけないわけではない。その指針として考えられるのは、「脱会社」である。もはや会社に忠誠をつくす必要はない。会社のためではなく、自分のためと割り切って生きるしかない。

つまり「会社人間」をきっぱり捨てて、個人に戻るのである。とはいえ、人間は個人では生きることができない。だから、「会社」にかわる世界を見つけなければならないが、それは新たな自分探しの旅になる。

旅の途中で倒れることになるかもしれない。たとえそうであっても、私たちはたくさんの出会いを経験する。そしてより深い生命の実感をもって、人生をさらに自分らしく生きることができるはずだ。ある意味で、面白い時代になってきたとも言える。


橋本裕 |MAILHomePage

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