橋本裕の日記
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第二章 暑さの残り(2) 信夫の家から名古屋に出るときは、名鉄の木曽川堤駅を使っているが、以前はJRの木曽川駅を使っていた。そちらの方が距離的に近いし、料金が安い上に便数も多く、しかも名古屋に早く着く。しかし、妻が交通事故で死んでから、信夫はJR木曽川駅を使わなくなった。
その理由は、事故の現場を通りたくなかったからだ。しかし、木曽川の堤防を歩いて名鉄木曽側堤まで歩くようになって、いつのまにか15年が経っている。そしてもはや妻の事件とは関係なしに、いつかこれが習慣になっていた。だから事情を知らない人が見ると、信夫の行動は不合理なものに見えるかもしれない。
信夫はひさしぶりにJR木曽側駅の方に歩いていた。とくに理由があったわけではない。これまでの習慣を続けるのをやめようと思って、意志的にコースを変えたのではなく、気がついたら、そちらの方に歩いていた。
途中で気がついて、少しだけ迷ったが、そのままJRの駅に歩くことにした。午後二時少し前で、まだ残暑が厳しかった。それでも空を見上げると、薄い筋雲が流れている。もう、入道雲が立ち並ぶ夏の空ではなかった。
信夫は歩きながらこんなことを考えた。世の中にはさまざまな不思議な習慣がある。たとえばイスラム教徒は豚を食べないし、ヒンズー教徒は牛をたべないが、こうした民族に固有の習慣も、そのもとをたどれば何かの事情があったのかもしれない。
一説によるとイスラム教徒が豚を食べないのは、豚を飼うとたくさんの穀物が必要になるからだという。アラビア地方は乾燥地帯で穀物の生産量が乏しい。人間はもともと豚と共存できない土地柄だった。そこでコーランは食べるのを禁じたのではないかという。
また、NHKのテレビでアナハヅルという鶴の大群がチベットからヒマラヤ山脈を越えてインドに飛んでいく映像を流していた。ヒマラヤといえば8000メートルを超える山々が連なっている。鶴たちはそのさらに上空の成層圏を飛んでいく。空気が希薄で、人間なら酸素ボンベが必要になる高さを、鶴たちは編隊を組んで飛んでいく。なぜこんな命がけの大冒険をするのだろう。
これについては、こんな説が紹介されていた。アナハヅルが渡りを始めた頃は、ヒマラヤ山脈はもっと低かったのだという。ところが次第に山が隆起して高くなった。それでも、鶴たちはこのコースに固執続けた。もっと楽なコースを通ればよいのだが、昔の習慣を改めることができない。
その一途で不屈な姿には感動するが、なにやら悲壮で哀れでもある。信夫はいつかこの鶴たちの姿に、自分を投影していた。もっと楽な生き方があるのではないだろうか。たとえば神岡のように気楽に生きたらどうだろう。そんなことを考えた。
家を出て10分ほどで、妻が事故にあった交差点に来た。そこで15年前の秋のある日、妻が命を落とした。妻のパンツのポケットには、信夫のJRの定期券が入っていた。信夫がそれを忘れたため、駅まで届ける途中だったからだ。
信夫は駅で妻を待っていた。30分待っても来ないので、あきらめて切符を買い、列車に乗った。そして地下鉄に乗り継ぎ、当時勤務していたY高校にたどりついた。すでに朝の職員会議が始まっていたが、教頭は信夫を見ると、朝礼を中断してやってきた。そして、信夫は彼の口から妻の事故を知らされたのだった。
信夫はふたたび地下鉄とJRを乗り継いで、木曽側駅に帰ってきた。そこからタクシーで妻が収容された病院に直行した。しかし、妻はすでに死んでいた。トラックの車輪に巻き込まれた妻は、ほとんど即死状態だったようだ。
娘の春江は妻の事故を中学校で知らされ、担任の先生の車で送られて病院に来ていた。青い顔をして目を泣き腫らしてソファの片隅で身を固くしていた。信夫が近寄っても何も言わなかった。信夫は担任の先生にお礼を言って、引き取ってもらった。
駅の待合室で待っていたとき、遠くに救急車のサイレンの音を聞いたのを思い出した。あのとき、妻はすでに事故にあって、虫の息だったのだろう。信夫は妻の死に顔を見ながら、そんなことを考え、妻にあわれを覚えた。しかし、それでも涙がこぼれるほどの悲しみがわいてこなかった。
妻が持っていた信夫の定期券を渡されたときには、少し動揺した。信夫はその血のついた定期券を破り、病院のトイレのゴミ箱に捨てた。その様子を、娘の春江が見ていた。よほどこれが心外だったのだろう。後に春江はこのことで何度か信夫を難詰した。
信夫も娘の前で定期券を破って捨てたことをあとで悔やんだ。あのとき信夫は呆然としていた。そして娘の春江の母を失ったかなしみの深さに思い至らなかった。
もっとも信夫はそのとき、極度の心神耗弱状態にあった。父親の内心の動揺を、当時中学生の春江は知らない。そしてただ父親の薄情さを恨んだ。恨みが次第に内攻し、良好でなかった親子関係をさらに修復不可能なものにした。
信夫は妻が命を失った交差点にしばらくたたずみ、まわりの景色を眺めた。十五年前とはかなり様子がかわっている。角にあった民家は取り壊され、そこにあたらしくファミリーレストランが作られている。
妻はこのレストランを知らない。そして今の春江のことも、二人の孫のことも知らない。この15年間に起こったさまざまな出来事も妻は知らない。そしてもう信夫を冷たい眼でにらみ返すこともない。信夫はそう思うと、少しせつなくなった。
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