橋本裕の日記
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もう20年近くも前になるが、祖母が施設に入っていたので、福井へ帰省した折に見舞いに行った。その頃の祖母は、もうすっかり童女のようなかわいらしい表情をしていた。最後の方は、私が誰かも答えられなかったが、それでも母が「裕が来たよ」というと、私の顔を見てなつかしそうに笑っていた。
相部屋だから、ほかの人の様子も自然と眼に入る。祖母の隣のベッドで寝ていた老女は、いつも指をくわえて吸っていた。まるで乳飲み子とかわらない。そうした老人たちの様子を見ながら、「人はみんなこうして赤ん坊に還っていくのだなあ」と思ったものだ。
祖母はその施設で、92歳で死んだ。臨終に立ち会えなかったが、きくところによると、やすらかな往生だったという。その言葉のとおり、私の祖母の死顔には、赤ん坊のような無邪気な笑みが浮かんでいた。
こんな昔のことを思い出したのは、藤本義一さんの「歎異抄に学ぶ人生の知恵」(PHP出版)を読んだからだ。そこに藤本さんの父親の臨終の様子が書かれていた。家族が見守るなかで、臨終を迎えながら、72歳の父親はしきりにうわごとをいう。
「済んまへん、済んまへん。直に片付けますよってに……」
藤本さんは父親が何を詫びているのかわかった。入院する前に飼い犬が近所のゴミ箱を引返した。それで一軒ずつ謝りに回ったのだという。父親はそのときの状況を思い出していたわけだ。それから2分ほどして、またうわごとを言った。
「これは松ぼっくりや。ほれ、落ちてきた」
これはどうやら父親が孫(藤本さんの息子)を乳母車にのせて近所の浜寺公園に行ったときの記憶らしい。子どもの年齢から逆算すると、父親が60歳の頃のことだ。2分あまりで父親は記憶を12年もさかのぼっている。
<それから数分間の沈黙があった。一同は息をころして父の顔を見つめていた。父の顔に微笑が浮かんだ。なにやら友人知人とたちと酒を酌み交わしているようだ。頻りに手を動かす。 「まあ、世の中、新しいことや」 という。 時代が大正から昭和に変わった時に、店を自分ひとりの力で開くという喜びに満ち溢れている。考えれば、戦争、戦災という苦難を父は数分間で飛び越えてしまったのだ>
また2分ほどの沈黙があり、息遣いが激しくなった。そして大きな声で叫んだ。
「たっちゃん、まっちゃん、太鼓はあっちで鳴っているでェ! 早よ、早よ、行こ!」
これは子ども時代の祭りの記憶が蘇ったらしい。それから、2分後、父親の手が蒲団を押しのけて伸びてきた。
<父の手は周囲をゆっくり泳いで、姉の胸に触れ、そして指先で恥ずかしそうに胸のあたりを手探り、乳首を抓んだ。 「お父さん、それは、なに……」 姉が囁くようにいうと、父の顔は弛み、小さな声で、 「乳……」 と一言呟いた。この時、医師から臨終が告げられた。父は二十分ほどの間に赤ん坊に回帰していたことになる>
死に向かうにつれて、人はどんどん新しいほうから記憶を失い、最後は赤ん坊の頃にもどってしまう。そして母親のあたたかい肌に抱かれて臨終を迎える。それであんな無邪気な微笑みが浮かぶのだろう。
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