橋本裕の日記
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私の定時制高校は8月27日が始業式だったが、愛知県の大方の学校は9月3日の月曜日から学校が始まった。夏休み明けの一週間は、生徒にとっても教師にとっても、なかなか厳しいものである。
9月に入ったとはいえ、まだまだ残暑が厳しい。生徒が何十人という真昼の教室のうだるような暑さはたまらない。私は2年前から定時制に転勤し、真昼の暑さから解放されたが、全日制の先生方はたいへんだ。この暑い教室で課題テストがあり、授業の傍ら、採点もある。
学校によっては体育祭や学校祭の行事が控えていて、その準備が大変だ。過去の日記を読み返すと、その当時の殺人的な忙しさが蘇ってくる。たとえば、定時制高校に転勤する前年の日記を引用しよう。
――――2004年9月11日(土) 忙しい日々を生きる――――
この一週間、いろいろなことが集中して、とても忙しかった。月曜日と火曜日は文化祭の準備があった。私のクラスは文化祭で「焼き鳥」と「ホットドッグ」を作ることになっていたので、月曜日には生徒たちと「ホットドッグ」の試食会をした。
二種類のパンとウインナ・ソーセージを買ってきて、教室でみんなで食べた。と書けば簡単だが、これだけのためにずいぶん走り回った。包丁やまな板、ガスコンロ、その他いろいろな物を準備しなければならない。試食会と並行して、クラスの応援旗の製作、ゴミ箱の製作、そして応援の振り付けもあったので、よけいに目が回った。
火曜日には台風による暴風雨警報が出て、午後には生徒全員が帰ったので、大量の買い出しを私一人でする羽目になった。焼き鳥用の木炭を買ったり、まな板や包丁も3本買った。キャベツを3個、それからケチャップや塩こしょう、紙製の皿を60枚、コップ60個、それからパンを120個、メモをみながら次々と買っていく。一度には運べないので、二度も紙袋を抱えて駐車場を往復した。
学校からの帰り道、「焼き鳥」用の金網が買ってなかったのを思いだし、スーパーに寄った。ちょうど金網の半額セールをしていて、600円の商品が300円で買えた。こういうのは何だかとても得をした気分である。さあ、これで準備万端と上機嫌で車に乗り込んだが、好事魔多しで、車の様子がいおかしい。
すさまじい金属音が聞こえ、エンジンが止まってしまう。三度ほど繰り返すうちに、とうとうエンジンがかからなくなってしまった。ボンネットをあけると、焦げ臭い匂いがする。ベルトが焼き付いているようだ。しかたなく、車を駐車場に置いたまま、吹きつのる暴風のなかを最寄りの整備工場まで歩く羽目になった。
故障の原因は、コンプレッサーのボウリングが破損したためだということだ。車を整備工場に置いて、荷物を持って家まで歩いた。家に帰るともうくたくたである。心配になって血圧を測ると、下が110を越えていた。上は170もある。薬を飲み忘れたわけではない。「もうダメだ、おれも壊れそうだ。死ぬかも知れない」と思わず夕食の席で弱音をもらした。
翌水曜日は妻の車に、「焼き鳥」用のコンロやコンクリートのブロックを載せて早朝出勤をした。それから生徒達とテントを組み立てて、買い出しに走った。予約しておいた焼き鳥180本を受け取ってほっとした。同時にホットドック用のウインナ・ソーセージ120本も買おうとしたが、こちらは予約してなかったので開店まで待って欲しいとのこと。10時まで駐車場で時間を気にしながら待った。
慌ただしく文化祭が終わり、テントなどの片づけおわったときにはほっとした。最後、ホットドック用のパンが足らなくなり、スーパーに走ったりしたのは毎年のことだ。考えてみると、私は3年連続して3年生の担任をしているから、これで食品バザーも3年連続ということになる。去年は「焼き鳥」と「うどん」だった。その前の年は「カレーうどん」だけだった。毎年少しずつむつかしくなっている。やはり二種類はつらい。
木曜日は体育祭だった。ところがこの日もとんでもないことが起こった。応援の係の生徒がよりにもよって全員分の衣装を家に忘れてきたというのだ。しかたがないので、午前の部が終わったあと、その生徒を車に乗せて家まで取りに行った。昼食時間は40分しかない。車の往復でこれがすべてつぶれた。
学校に帰ってきたとき、すでに集合時間の2分前だった。駐車場に車を置いて、いそいで生徒とグランドに走った。クラスの生徒を整列させ、点呼を確認する。ぎりぎり時間に間に合ったものの、空腹と疲労でいまにも倒れそうだった。血圧はおそらく200を越えていたかも知れない。
炎天下での体育大会が終わり、教室で解散したときは全身汗で、極度の脱力感があった。54歳の年齢でこの激務は応える。隣のクラスはご褒美にジュースを飲んでいるらしい。「先生、ジュースはないの」の生徒の声に、「ばかやろう、先生を破産させるつもりか」と思わず切れてしまった。
同じ職場の北さんに職員室で、「生徒は楽しそうだったけど、橋本さんは不機嫌だったね。もっと楽しくやればいいのに」と言われてしまった。たしかにその通りだが、忙しいと心理的余裕がなくなる。とても生徒達と一緒に文化祭や体育祭を楽しむという気分にはなれなかったが、修行がたりないといわれればそのとおりだ。
この日は、成績不振科目をかかえる生徒の保護者を呼んであった。本人と保護者に校長から「このままでは卒業できない」と警告や指導をしてもらった。もちろん担任も同席し、そのあと教務主任の注意を受け、さらに担任指導ということで三者懇談をした。それが終わって、すっかりエネルギーを使い果たした私は、もう部活動を見にテニスコートまで足を運ぶ気にはならなかった。
昨日の金曜日は1限目大掃除。そのあと6限目まで授業。「先生、疲れた。もうだめ」と生徒が次々と保健室に行き、「帰宅もやむなし」という養護教諭のコメントを書いた紙を持って返ってくる。生徒は気楽に帰れるが、教師はそういうわけにはいかない。授業の合間に、その日に生徒に渡す調査書の準備をしたり、テニスの公式試合の会場に行く電車の時間をインターネットで調べてプリントを作ったりした。
清掃・終礼のあと、3人の生徒の進路相談をしてから、テニスコートまで歩いた。そして、学校に帰り、前日同様、成績不振生徒と保護者の訓戒に立ち会い、そのあと教務主任指導と担任との三者懇談。すべてが終わったときには6時を過ぎていた。
この土日は少しゆっくりしたいが、そうも行かない。テニスの新人戦がいよいよはじまるからだ。今日も明日も、そしてさらに来週の土日も、場合によったらそれから先も、当分の間テニスの公式戦のために休日はおあずけということになる。これはかなりつらいことだ。
それにしても、私の愛車はいつになったら戻ってくるのだろう。10年間で16万キロを一緒に走ったこのパートナーも、私と同様にガタが来始めている。妻は「新車に替えたら」と言ってくれる。しかしもう一踏ん張りしてもらおう。はやく愛車の元気な姿が見たい。
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読み返すと、悪戦苦闘していた自分の姿がうかびあがる。わずか3年前のことだが、もう遠い昔のことのようにも思われる。もうこんな生活は、体力的にも、精神的にも、できそうにない。ちなみにこのとき故障した私の愛車は、家族の一員として今も律儀に働いてくれている。
(今日の一首)
こほろぎの声ききながら水を飲む このひとときは心澄みたり
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