橋本裕の日記
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| 2007年09月01日(土) |
英語の授業は少人数制で |
友人のTENSEIさんが、昨日の日記に、「本当に英語(外国語)の勉強をさせたいと思うのなら、小学生から始める、ということにこだわるよりも、まずは、中学での英語教育を改善することだ」と書いている。もう少し引用させていただく。
<語学でもっとも大切な基本は、口を動かすということである。早期に始めても、口を動かすことが少なかったら、何の意味もない。我々日本人が日本語をマスターするのに、文法は必要なかった。より理解するために文法は助けにはなるけれど、我々が日本語を使えるようになったのは、真似てしゃべったからである>
<私自身の体験を付け加えると、私は中学時代、英語の教科書をよく音読してほとんど暗誦していたし、英作文も好んでやっていたし、英語のテストで100点取らないのは恥だし、他の苦手な生徒に懇切丁寧に教えたりもしていた。その点では、その後県下第一の進学校から東大に進んだ友人に負けなかった。大学時代も、国文科の友人たちに教える格好になったこともある。
それでも、英語で会話ができるかというと、まったくダメなまま今に至る。理解できるというのと、実際に使えるというところに断絶がある。その認識がないと、語学教育は語れないのだ>
文科省が中教審に提出した学習指導要領改訂のための素案によれば、<小学校高学年に、「英語(外国語)活動」を週1コマ設ける>ということだが、TENSEIさんは、中学校の英語授業を少人数制に改善することのほうが重要だという。私もこれに同感である。
文法や英文解釈の授業であれば40人でも成立するだろうが、英語はたんなる「知識」ではない。それは一種の「技能」なのだ。いくら本を読んで水泳の知識や理論を詰め込んでも、実際に水に入らなければ「泳げない」のと同様に、英語も実際に口に出して「使用」しないと使えない。40人制の座学の授業では、英語を使う機会はほとんどない。だからこうした必要な訓練ができない。
私は英語がひと言も話せなかったが、2年前にセブの英語学校に留学して、2週間目で、英語がなんとか使えるようになった。一人でバスやトライシクルという乗り物を乗り継ぎ、セブからモアルボアルというところに旅し、そこのレストランで現地の人と英語で会話しながら楽しく食事をした。私にとってこれは感動的な体験だった。
どうしてこんな奇跡が起こったのか。それはセブの英語学校での濃密な語学学習に秘密がある。この語学学校で私は1時間40分の授業を毎日3コマずつ受けた。合計5時間英語の授業を毎日受けたわけだ。しかもその授業は、マンツーマン、4人クラス、8人クラスという徹底した少人数制である。
とくにマンツーマンの授業では、フィリピン人の先生と個室で1時間40分間さしで向かい合い、その間、絶え間なく英語で質問を受ける。だからいやでも英語を使うことになる。4人クラスや8人クラスでも、英語を口にするが、英語を使うという点ではマンツーマンの授業は効果的だ。だから私のような英会話駄目人間が、わずか2週間で英語が「ファイナライズ」され、奇跡的に英語が話せるようになった。
私は語学の勉強は、中学からで十分だと思っている。さらに言えば、定年後でもいいのではないか。語学の勉強は必要になったときはじめればよい。それが60歳でも70歳でもかまわない。問題は学習環境とやる気の問題である。
(今日の一首)
玄関で仏師の彫りたるふくろうが われを迎える我が家の宝
妻が木彫りのふくろうを買ってきた。知り合いの仏師に彫ってもらったのだという。なかなかいい表情をしている。仏の心が入っているからだろう。
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