橋本裕の日記
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2007年02月06日(火) 英語をファイナライズ(6)

 英語をファイナライズする上で大切なことは、普遍言語の立場に立って、「動詞」が文を構成する上で果たす重要な役割を理解することだ。英語の場合、SVと続く。そして、この「動詞力」によって、問いが誘発され、この情報の穴を埋める形で、文章が自然に完成される。結果的に動詞が文章そのものの「枠組み」を提供している。

 それでは日本語の場合はどうか。結論として言えることは、日本語でも動詞が文の枠組みを決めている。町田健さんの「たのしい言語学」(ソフトバンク出版)から引用しよう。

<動詞というのは、事柄の基本的な枠組みを表しているのだと考える事ができます。動詞が表す事柄の枠組みの中に、名詞が表すモノとか事柄の集合が組み入れられることで、最終的にきちんとした事柄が完成するというわけです>

<事柄全体を自動車だとすると、動詞が表すものは自動車のボディーに当たるのだと考えればよいでしょう。ボディーを見れば、ああこの車はセダンだなとかスポーツカーだなとか、ときにはこのメーカーの車なんだな、というような大体の車の特徴がわかります。

 そのボディーに、車が走るのに必要なエンジンとかタイヤとかハンドルとかが組み込まれて、ようやく自動車が完成します。このエンジンとかタイヤとかハンドルに当たるものが、名詞があらわすモノや事柄なのだと考えればいいわけです>

 文を車にたとえ、動詞をボディーに見立てるのは、とても面白い。英語でも日本語でも、そして他のいかなる言語でも、「動詞」が文の枠組みを与えている。そして、「動詞」によって与えられた大枠を完成するために、そこに様々な名詞群がその重要な部品として配置される。これによって、文のあらわす事柄が明確になるわけだ。

 ただし、日本語の場合は、文の枠組みを決める働きは動詞だけにあるのでははない。日本文では形容詞もこの資格を持っている。動詞文のほかに形容詞文もある。

<芥子の花は赤い>

  芥子の花は
 ー−−−−−−
   赤い

 ここで文のあらわす事柄の大枠を決めているのは<赤い>という形容詞である。そして「何が」という意味の欠如を補うために、<芥子の花>という名詞が置かれている。

<彼は泥棒だ>

  彼は
 ーーーーー
  泥棒だ

 これは<泥棒だ>が述語である。<泥棒>という名詞に<だ>という」断定の助動詞がついたもので、これも文があらわす事柄の枠組みを作っている。これは「名詞文」と呼ばれる。日本文にはこの3つのものがある。

 日本文と英文を比べると、英文では常に「主格名詞」が先頭に来て、ついで動詞の続く。そのあとに目的格の名詞がくる。この順が固定されているので、主格名詞や目的格名詞には前置詞がつかない。

 日本文では動詞が後置され、主格名詞の位置もきまっていない。それどころか存在しないことがおおい。このため、主格名詞、目的格の名詞もすべて「格助詞」をつけて指標にしている。ただ英文とちがうのは、前置詞ではなく後置詞になっていることだ。 こうした様々な違いはあるが、言語として共通項も多い。言語学を学ぶことで、共通部分が明らかになる。

 私は高校の授業で言語学の初歩を教えるべきではないかと考えている。テキストは町田健さんの「たのしい言語学」がよい。この本の第三章「コトバには構造がある」(P100〜P169)はとくにお勧めである。

 同じ著者の「まちがいだらけの日本語文法」(講談社現代新書)も、学校で教えられている日本語文法の問題点が、初心者向けに分かりやすく書かれている。ちなみに町田さんは、名古屋大学の言語学科の教授である。(続く)

(今日の一首)

 真夜中に咳がとまらず水を飲む
 ありがたきかなこころ落ち着く


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