橋本裕の日記
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| 2007年02月04日(日) |
英語をファイナライズ(4) |
普遍言語システムはすでに日本語のなかに備わっている。実のところ、この普遍システムがあるから、私たちは日本語が学習できたわけだ。そして、私たちが使っている言葉も、この基本的な言語システムのなかで動いている。
それは一口に言えば、論理でありロゴスである。ところでこのロゴスの世界へ、どうしたら私たちは立ち入ることができるのか。それはギリシャ人がしたように、魔法の言葉「なぜ?」(why)を用いればよい。
夕陽はなぜ赤いのか。空や海はなぜ青いのか。なぜ雨上がりに虹が立ち、それは七色に見えるのか。子供にこうたずねられて、多くの大人は立ち往生する。それは私たちがそんなことを考えたことがないからだ。空が青いのは当たり前で、虹も7色にきまっている。夕日が赤いのにもあえて疑問を持たない。
なぜ、私たちは額に汗して働かなければならないのか。世の中には生まれながらにして高貴な人たちがいて、多くの人たちがその一握りの人々のために奴隷労働をしているのはなぜか。こうしたことも、ふだんは疑問に思わないだろう。生活に追われている多くの人々は、それはそういうふうになのが当たり前だと考えるからだ。
しかしあるとき、一人の男が現れて、「野の花を見よ」といった。野の花は苦しい労働をしているだろうか。それでもあのように自由にすがすがしく咲いている。空を自由に飛ぶ鳥が、耕したり紡いだりするだろうか。なぜ、人間は苦役と不自由を耐えなければならないのか。こうした問いから、この世界を相対的に眺める姿勢が生み出されてくる。
大切なのは、こうした「問い」に目覚めることである。この世の中にそうした「問い」が存在するということ、これを知ることがとても大切なのだ。アインシュタインも言っているように、実のところ「問い」を発見することの方が、その答えを発見することよりもはるかに重要なのである。
「学問」は「問うことを学ぶこと」である。そして、それはギリシャから始まるといわれている。それは、彼らがこうした「問い」にをはじめて自覚したからだ。彼らは「なぜ二等辺三角形は低角が等しいのか」という抽象的な事柄にまで問いを発見し、これに答えを与えようとした。
なぜ、空が青いのか、そもそも青いということは何か、という問いはどんどん進んで、ついには「ことば」にまで及んだ。なぜ、世の中にはたくさんの人種がいて、たくさんの異なった言葉が存在するのか。それらの言葉に共通する普遍的なものとは何か。ことばの背景には、どのような仕組みがかくされているのか。その本質は何か。
私たちがふだん使っている日本語についても、その根底にある論理性について、私たちはその存在を意識しない。しかし、この日本語の根底にあるものについて、執拗に問い続けたひとたちがいた。
その代表は本居宣長だろう。彼は1779年に「詞の玉緒」を書いた。「玉」は単語であり、これを繋ぐ「緒」とは「てにをは」という助詞である。彼は日本語の基本構造をときあかし、その根底にある「係り結び」の法則を明らかにした。
時代が下り、明治時代、中学を中退し、私立中学で代用教員をしていた山田孝雄は、生徒から「二階は、先生に貸しています」のように、「は」が主語をあらわさない文章について質問されて立ち往生した。彼はただちに職を辞して、ただ一人で「日本語文法」の研究に没頭し、ついに「山田文法」を後世に残した。彼は1938年に書かれた随筆「中学生に導かれて」にこう書いている。
<当時の古今の文法書が一として役に立つものが無いといってもよい程のありさまだった。ただ「は」を特色あるものとして取り扱ってあるのは本居宣長の「詞の玉緒」である。私の文法研究は「は」の疑問にその緒を発し、「は」の研究の結果によって結末をつけたのであった。私の文法研究が中学生に指導せられたといふ事は、以上述べた通りの事で一の誇張も無い>
しかし、中学校中退の学歴しかない彼の文法は、文部省の認定する「学校文法」となることはできなかった。全国の学校では、やはり東京帝国大学国文科教授であった橋本進吉の文法が教えられ続けた。そして大野晋をはじめ、学会の主要なメンバーは彼の門下生の一派である。金谷武洋さんは「主語を抹殺した男」(講談社)のなかで、こう書いている。
<私は、もし橋本文法ではなく、山田文法が学校文法に採用されていたら、日本語と日本人にとってどんなにか良かったかと思う。文法の質として雲泥の差があるのは、山田文法は橋本文法よりもはるかに日本語の発想に根ざしているからである。学校文法にならなかった理由を忖度すれば、それはきわめてあきらかだ。山田が富山中学を中退しているからである。山田は独力で、実力で小中学校教員検定試験に合格し、その後、一歩一歩、文法学者への道を進んで大成した第一級の学者である>
山田孝雄はこの業績で戦後文化勲章を受賞した。しかし、彼の文法はやはり文部省の公認とはならなかった。帝国大学出身者が学会と官界の主流を占めていたからである。しかしこれに果敢に抵抗して立ち上がった男がいた。三上章という東大の建築家を卒業した異色の言語学者である。
彼は高校で数学を教える傍ら日本語文法を研究した。1960年に「象は鼻が長い」という風変わりな文法書を出版し、助詞「は」の研究からさらに進んで、「日本語に主語はない」ということを主張した。彼によって、日本語の普遍構造がはっきりと輪郭を現し始めた。そのあらましは、私の「日本語の構造」に書いたとおりである。
こうした先人たちの研究で明らかになったことは、日本語もまたその根底に強固な論理性をもち、それは英語の根底にある論理性とその深部においてつながっているということだ。そしてこうした考察を深めていけば、これら諸言語をその土台で支えている基本的なシステムについても大切な知見をうることができるだろう。
日本語を極めることは、英語を極めることと無縁ではない。つまり、日本語がわかれば英語がわかる。私は日本語を極めたわけではない。しかし、大学・大学院で理論物理学を研究し、日ごろは高校で普遍言語ともいえる数学を教えている。そして毎日こうしてこつこつと日本語の文章を書き、言語についてもあれこれ考察しているので、普遍言語システムについて自得したところがないわけではない。そこでこの経験をもとに、英語の構造についても、いささか持論を書いてみよう。(続く)
(今日の一首)
寒風に向かって行けば汗ばみて ここちよきかな伊吹山白し
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