橋本裕の日記
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2007年02月03日(土) 英語をファイナライズ(3)

 私たちは日本語を話し、日本語で考えている。そして普段はこのことをあまり意識しない。それは空気のようなものである。私たち日本人は、自然に日本語で呼吸している。

 また、英語などの外国語を勉強するときも、日本語をベースにしている。教室で英語の先生は日本語を使い、英語についていろいろと教えてくれる。とうぜん私たちも、日本語を通して、英語を理解しているわけだ。しかし、これではいつまでたっても英語が話せるようにはならない。

 それではどうすればよいのか。日本語を基本OSとするのではなく、その根底にあるもっと普遍的な言語システムを発見し、その上に日本語というシステムを再構築すればよい。これができれば、英語もまた、この普遍言語システムの土台にのせることができる。この一連のプロセスを構造式で表してみよう。

(1)日本語をベースにした英語の学習

    英 語
  −−ーーーー
 | 日本語  |
  −−−−ーー

(2)英語を学習しながら、日本語についての認識を深め、普遍言語を発見する。

     英 語
  −−ーーーー
 | 日本語  |
 |  ーー   |
 | 普遍言語 |
  −−−−ーー

(3) 普遍言語システムを確立し、この基本OSの上に日本語OSを置く。

     英 語
   ーーーーー
  | 日本語 |
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|  普遍言語システム  |
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(4)英語を日本語から独立させ、直に普遍言語システムに接続する。

     日本語  英語
 ーーーーーーーーーーーー
|   普遍言語システム   |
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 つまり、日本語システムの上に乗っていた英語を、基本言語の上に棚卸しをするわけだ。そうすることで、英語は日本語の壁を取り除かれる。基本言語によってファイナライズされた英語は、その本来の力を発揮する。

 私がセブでであったA子さんは、カナダ人の男性と交際することになり、短期間にこれを行ったのだろう。カナダ人男性を好きになることで、日本語が蹴飛ばされて、英語がすとんと、普遍言語面に着地した。一種の事故のようなものかも知れない。

 私たちは学校で英語を学び、英語の知識をいくら蓄えても、それを日本語の上に構築していてはだめである。最初はそれでしかたがないが、いつか英語を普遍言語システムの上に棚卸ししてやらなければならない。

 しかし、あまりに日本語に強固な依存体制ができると、これがむつかしくなる。英文法や英文和訳など、英語を勉強すればするほどこの「日本語英語」が強固になり、かえって自然な英語の学習が阻害されることも大いにありうる。

 これを避けるためには、日本語を通してではなく、その根底にある基本言語システムにまでさかのぼって英語を学習するように心がければよい。それでは、基本言語システムはいかにして獲得できるのか。

 各種の言語は、いずれもその根底に普遍的なシステムをもっている。このことを最初に自覚したのはギリシャ人だろう。彼らはこれをロゴス(論理)と呼んだ。あらゆる言語はこの普遍言語(ロゴス)の上に築かれている。これに気づくことで、普段使っている言葉自身のあり方にまで、私たちは目を向けることができる。そしてここから普遍言語としての論理学や、哲学や数学が生まれてきた。

              言葉
    −−−−−−−−−−−ーーーーー
     ロゴス(哲学、論理学、数学、科学)

 ゼノンは弟子たちに「哲学」というものを理解させるために、まず左手を広げたまま突き出し、そして握ってみせた。私たちはまず、生きるためにこうして世界を掴む(認識する)わけだ。ゼノンによればこれが通常の知ということだった。つぎに、ゼノンは右手を伸ばし、これで左手の拳を包み込むようにして握った。これによってゼノンは世間に生きるために忙しく動いている私たちの思考活動そのものを、もう一段高いレベルから思索し把握するという高度な知の存在を示そうとした。

 ただ生きることにあくせくするのではなく、そもそも「生きるということはどういうことか」を考えてみる。こうしたメタ思考がすなわち「哲学」の本質であることを、ゼノンは両手を使ってわかりやすく説明したわけだ。こうしたメタ思考によって、私たちは私たちがふだん無意識に使っている「言葉」そのものをあたらしい次元からとらえなおすことができる。そしてこの普遍言語の立場に立つとき、彼らは彼らが使用する言語の枠からいくらか自由になることができた。

 そのとき、おそらく、人生の様子が大きく変わって見える。何気ない日常の景色が、あたらしい光りの下で、まるで別物のように甦ってくる。アリストテレスはこうした体験を「存在驚愕」(タウマゼイン)と呼んだ。

 プラトンは哲学をすることの意味は、「だれもが持っていながら眠らせている心の中の器官や能力を、向け変える(ペリアゴーゲ)ことだ」と、「国家」の中で述べている。いくら知識を身につけて、博識の学者になっても、ペリアゴーゲを体験せず、「この世をみる見方の学び直し」ができていない人には、人生の美しい実相はみえてこないというわけだ。

 それはともかく、本題に戻ろう。普遍原言語の存在を仮定すれば、私たちの語学学習のプロセスは見通しのよいものになるにちがいない。シュリーマンのような語学の天才といわれる人は、言語基本システムがしっかり確立されていたのだろう。だからそのプラットフォームのうえに、様々な国々の言語をいともたやすく立ち上げることができた。

 日本語 英語 韓国語 中国語 ドイツ語 フランス語
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            普遍言語(ロゴス)

 普遍言語システムはすでに私たちの中にある。それは日本語のなかに備わっている。だから、それを遠くに求める必要はないが、日本語のなかだけで考えていると、その正体が見えにくい。外国語を学ぶ利点がここにある。私たちは外国語を媒介にして、言語そのものについての認識を深め、世界についての認識も明晰なものにすることができる。(続く)

(今日の一首)

 己との対話もたのし独りいて
 いのちの不思議しみじみ覚ゆ


橋本裕 |MAILHomePage

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