橋本裕の日記
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2007年01月20日(土) 言語にとって美とは何か

 同人誌「作家」で小説を書き始めた30年ほど前、私は大学院の学生だった。その頃おなじ研究室の先輩に誘われて、「読書会」に参加したことがある。大学院で物理学を専攻したり教えていたりする5.6人ほどの男性と、物理学にはあまり縁のないふつうの読書好きのOLたちとがメンバーだった。

「読書会」は大学の会議室や、図書館の集会室をかりて、月1回行われた。読書会の後、食事会や飲み会があり、年に数回は、泊りがけで旅行に行った。読書を通して、男女が交流する社交の場でもあり、実際、この会からいくつものカップルができた。(私もそのなかの一人の女性と親密になった)

 月に1回の「読書会」が待ち遠しかった。しかも、たまたま私が入会したときから、吉本隆明の「言語にとって美とは何か」という魅力的な本を読み始めていた。私が読書会に参加しようと思ったのは、この本に引かれてのことかも知れない。

 残念ながら、この本はいま手元にない。蔵書0冊運動の一環で、私は大半の蔵書をすでに処分してしてしまった。これはもう少し手元においておきたかった。

 なにしろ30年も前に読んだ本なので、記憶があいまいである。しかし、読書会で1年間苦労して読み続け、何回かレポーターとして内容を解説したりしているので、すっかり忘れたわけではない。その証拠に、「ことば」について考えるとき、今でも頭に浮かぶのは、吉本氏が発明したと思われる、「指示表出性」「自己表出性」という用語である。

「ことば」にはこれを発する人間の主観的な要素(自己表出性)と、表現の対象となる客観的な要素(指示表出性)の両面がある。これが統一されたのが文である。そしてこれがいかに統一されるかを明らかにするのが「文法」である。と、まあこんなところが大筋の展開だったように思う。

 それまで文法といえば、中学校や高校でならった学校文法しか知らなかったので、これは新鮮な驚きだった。しかも吉本隆明は思想家であり、詩人である。その独特の文体を読んでいると、奥深い原生林の森をさまようよう旅人になったような気分に誘われた。

 この本を読んで、もう一つの収穫は、時枝誠記の文法理論に触れたことだろう。吉本さんは時枝さんの「言葉は主観と客観の統一されたものだ」という言語観を継承している。したがってこの本は「時枝文法理論」の独自の入門書にもなっていた。

<国語において、主語、客語、補語の間に、明確な区別を認めることが出来ないといふ事実は、それらが、すべて述語から抽出されたものであり、述語に含まれるといふ構造図的関係において全く同等の位置を占めているといふことからも容易に判断することができる。

 私は6時に友人を駅に迎へた。

 において、「私」「6時」「友人」「駅」といふやうな成分が、すべて「迎へる」といふ述語に対して、同じ関係に立っているのである。その点、ヨーロッパ諸言語が、主語と述語の間には、不可分の関係が結ばれて、他の文の成分とは全く異なった関係にあるのとは違う>(時枝誠記「日本文法 口語篇」)

 時枝理論といえば、独特の入れ子理論が有名だが、私はこれを積み木を使って立体的に表現すると面白いと思った。そしてこのことを、30年も前に「読書会」で話した覚えがある。

 「日本語の構造」で紹介した「補語ー述語」二階建て橋本流積み木構造図がこれである。そして実はこれは時枝さんの入れ子図形を立体化したものだ。私の構造図を上から眺めれば、平面図が時枝さんの入れ子の図になっている。

 だから私の構造図は藤枝理論の剽窃のようなものだが、こうして積み木のように分解して立体化することで、時枝理論をその一部に含みながら、さらに新しい次元に言語理論を構築することが可能になるのではないかと思っている。もっとも「日本語の構造」を書き始めたときには、時枝理論のことは念頭になく、途中でこのことに気づいたわけだ。それで、もういちど時枝理論を読み直そうかという気になった。

 時枝さんは「犬だ」を文として認めている。そして、これが文であるのは、そこに「主観と客観の統一」があるからだという。具体的にいうと、客観的要素である名詞の「犬」を、主体的判断をあらわす「だ」が受け止めている。

 時枝さんによれば、主体的表現によって客観的表現がまとまりをもち、統一性を獲得したものが文である。この基本的な立場を、吉本の「言語にとって美とは何か」は受け継ぎ、これを発展させようとしていた。その雄大な構想がすばらしかった。 

 言語学について、これまで体系的に勉強をしたことがない。時枝理論に影響を与えたというソシュール言語学や、その後の構造主義言語学、そして最近世界の言語学の主流になりつつあるチョムスキーの「生成文法」についても、入門書を数冊読んだ程度である。これからもうすこし、こちらの方面の学習を充実させようと思っている。

(今日の一首)

  うす明かり心にさしたり書を読みて
 我に等しき友を見るとき


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