橋本裕の日記
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| 2006年11月18日(土) |
携帯電話が結ぶ心の絆 |
23人で出発した1年生の私のクラスだったが、10月を前に5人が退学して、現在は18名である。瞳の数が10個少なくなり、現在の私のクラスは「36の瞳」である。しかも今月中にもう一人、B子が退学しそうだ。
B子は中学2年生から登校拒否だった。離婚で好きだった父親が家からいなくなってから引きこもりがちになり、学校にいかなくなったらしい。しかし、高校生になってからはほとんど休まなかった。6月の保護者懇談会で母親が、「まだ学校に行ってくれているなんて、奇跡のようです」と顔をほころばせていた。
しかし、夏休みがあけて、次第に欠席が目立つようになった。もっとも電話だけは毎日かけてきた。「ワン切り」というやつで、毎回こちらからかけ直すことになる。
「今日の一限目の授業は何?」 「今、学校に向かっているからね」 「給食のメニュー、教えてよ」 「遅れるかもしれない」 「やっぱり今日は休む」 「明日は行くからね」
と、こんな調子で、時には一日に4回も5回も「ワン切り」する。B子が休みがちになったのは、先に退学したA子と遊ぶようになったことも一因のようだ。私がB子に電話をすると、B子の携帯から「先生、元気、私、毎日働いているよ」と、A子の明るい声が聞こえてきたりした。
A子も在学中は「ワン切り」の達人で、ときには真夜中でもかかってきた。これがところ構わずの長電話になった。11時近くに帰宅して、やれやれと床に就いたとき鳴り出したときもある。近所に高層マンションが屏風のように建っているせいか、家の中では電話が聞き取れないので、携帯を片手に玄関の鍵をあけ、パジャマのまま路上に出た。A子からの電話は私を不安にさせた。
「もう、がっこうやめる」 「あいつ、むかつく」 「おまえも、むかつく」 「おまえ、きもい」 「いまどこにいると思う、ホテルだよ。男に連れ込まれたんだ」 「先生、たすけてくれる?」 「私のことなんて、どうでもいいんでしょう」 「もう、施設に帰らないから」 「死ぬかも知れない」
こうした冗談とも本気ともつかない内容の電話で、私は不眠から体調を崩したこともあった。もちろん、彼女が入居している施設にも足を運んだ。A子とはいろいろとあり、酔っぱらって学校にやってきた彼女を我を忘れて叱ったしたこともある。そのとき彼女は2階の教室の窓から飛び降りようとして、私をあわてさせた。A子やB子に限らず、退学していく子には色々な問題や事情がある。
1年生の他のクラスの生徒のことで、その担任と二人で地図を片手に夜遅く家庭訪問し、家の前で母親と1時間以上押し問答したこともあった。学校の指導に不満な母親は、「校長先生に抗議しますからね」と喧嘩腰だったが、別れ際に少しだけ表情がなごみ、翌日には「先生方にも迷惑をおかけしました」と電話があった。そのことを聞いて、すこしほっとしたものだ。
こうして、この半年の間にいろいろなことがあり、1年生だけでも20人以上の生徒が学校を去った。毎日のようにかけてきた常連のA子もB子からも、もう電話は届かなくなった。そして入学当初は学校でも自宅でも、ところかまわず鳴り響いていた私の携帯電話が、最近はずいぶん静かになった。私の心は平和になったが、ときには妙に淋しく感じられる。
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