橋本裕の日記
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2006年08月28日(月) 無知による寛容と傲慢

 アジア地域での戦争犠牲者数について、私が目を通した多くの著作や新聞ではおよそ2000万人以上となっていましたが、文部省の検定した平成18年度用中学校歴史教科書には、「清水書院」のようにその数が明記されていないものもあります。参考までに検定済みの中学校歴史教科書の記述を紹介しておきましょう。

○扶桑社

 大戦全体の戦死者は2200万人、負傷者は3400万人とも推定されている。

○日本文教出版

 第二次世界大戦の被害 死者は5500万、負傷者は3500万、戦費は1兆5000億ドルともいわれるが、実数は不明である。

○大阪書籍

 こうして、第二次世界大戦は、全世界では約6000万人、アジアで2000万人にのぼる犠牲者をだし、特に一般市民の犠牲者が多数であったことなど、深い傷あとを残して終わりました。

○東京書籍

 こうして、数千万人の死者を出したといわれる第二次世界大戦が終わりました。注釈:アジア各国の犠牲者は合計で約2000万人以上といわれています。

○日本書籍新社

 この戦争での日本人の死者は、軍人・民間人をあわせて約310万人(朝鮮人・台湾人5万人をふくむ)、アジア諸国の死者は中国だけでも1000万人をこえるといわれている。

○帝国書院

 第二次世界大戦での日本軍の死者は130万人以上といわれ、民間人も60万人以上が亡くなったといわれています。(中略)世界中での死者は、3000万人をこえたといわれています。

○清水書院

 日本は、このみずからおこした侵略戦争によって悲惨な体験をし、また、戦った中国や東南アジア、欧米の国ぐにだけでなく、戦争に動員した朝鮮・台湾などの人びとにも、大きな被害と深い傷あとを残した。(実数の記載なし)

  http://dec2750.dhs1.sst.ne.jp/MyHomepage/text.html


 日本軍が東南アジアに進軍して、多くの戦争犠牲者を出しました。それではなぜ、2000万人もの被害者が出たのか。これについて、いろいろな原因が考えられますが、やはり日本軍の採用した「現地調達方式」が一番の問題ではなかったかと思います。

 つまり充分な食料補充計画がないので、日本軍はその生存を「現地調達」に頼らざるをえませんでした。食料のみならず、車両や商船を没収しました。さらに大量の「軍票」を発行し、現地の経済を壊滅状態に追いやりました。(殖産興業にはげんだ朝鮮半島や台湾などの一部の例外はあるかと思います)

 日本軍の死者もその大半は餓死によるものです。これは敗戦が濃厚になり、現地調達ができなくなったためと思われます。どうような被害は日本軍の侵出によって食料を没収され、生産手段までうばわれた現地の人々にも過酷にのしかかりました。

 なお、日本軍の「現地調達式」は戦争の拡大を必然化します。食料を求めて、日本軍はどんどん戦線を拡大しなければならなかったからです。

 こうした失敗は、すでに秀吉軍がおかしています。そして西洋史に目を向ければ、ナポレオンが犯しています。ロシアの奥地に侵出したものの、ロシアは全てを焼き払い退却したため、食料が尽きました。

 同様の失敗をナチスドイツも繰り返しました。いずれも食糧補給を現地調達に求めたための悲劇です。こうした方式のもとでは、略奪やレイプ行為が常態化し、現地人の被害がいやがうえにも大きくなります。第二次大戦ではロシアが最も大きな戦争犠牲者を出しました。

 日本軍とちがって、連合国軍は食糧補給を現地には頼らず、本国から豊かな物資を前線に運んでいました。したがって略奪など起こりようがありませんでした。それどころか物資を占領地域にまで施しました。また日本軍と違ってアメリカは「軍票」を発行しませんでした。戦後、日本がアメリカに友好的になったのも、こうした占領政策のたまものだったのです。

 なお人類の長い歴史の中で「現地調達式」が唯一成功した例があります。それはジンギスカンのモンゴル帝国でした。しかしそれは彼らが遊牧の民であり、現地調達に必要な牧草が各地に恵まれていたためだと考えられます。

 いろいろな歴史認識がありますが、日本の始めた戦争によって、2千万人以上のアジアの人々が命を落としたことが事実だとすれば、「日本は本当に、アジアの人々に対して、言われているような悪逆非道なことをしたのか。語ることを封じられているが、本当は、良いこともいっぱいしたのではないか。惨劇を招いたことに、中・韓の人々の問題はなかったのか」(moriさんの掲示板での発言)といった発言はありえないのではないでしょうか。

 なお、私は今年8月にセブに3週間滞在しましたが、私の接したフィリピンの人々はとても友好的でした。しかし、どうじに彼らは小泉首相の靖国神社参拝も知りません。いや、靖国神社そのものの存在もしらないのです。これは無知から来る寛容であり、もし事実を知れば、おそらくまた別の感想をもつのではないかと思いました。

 この無知の上にあぐらを掻いていて傲慢になってはいけません。彼らもやがて道から目覚めるかも知れません。すでにフィリピンでも啓蒙活動がはじまろうとしています。なにしろ当時2000万人に満たない国民のうち、100万人以上が日本軍の侵略により生命を奪われているのですから。しかもその犠牲者の家族がまだ生存しています。

 今後経済が発展し、日本の援助がそれほど必要でなくなれば、韓国や中国同様、日本の戦争責任問題が顕在化する可能性は大きいと思います。事実、去年、私がセブに滞在中に、日本軍の残虐行動を批判する映画が封切られ、かなりの観客を動員していました。

 なお、戦争犠牲者については、各国の専門家が統計を出していますが、犠牲者の定義や範囲を決めるのはなかなか容易ではないと思います。統計の取り方によっては、犠牲者の数は3000万人にも4000万人にもふくらむからです。

 たとえば、インドを代表する映画監督サタジット・レイといえば、代表作は「大地のうた」ですが、彼には第二次大戦中のベンガル地方を舞台にした秀作映画「遠雷」があります。一口に言えばこの地方で米の買い占めが起こり、豊かだった村が崩壊していく話です。

 米の買い占めが起こったのは、日本軍のマレーシア侵略が引き金でした。「遠雷」というのは遠くの戦争を象徴しています。この映画は史実をもとにしており、サタジット監督によればこの年ベンガル地方の餓死者は二千万人を越えたそうです。こうしたことまで思いを致すならば、今更ながらあの愚かな戦争の罪の大きさを考えずにはいられません。


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