橋本裕の日記
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2006年06月29日(木) 世界こそわが家

 今年は私たち夫婦の結婚25周年である。25年間いろいろなことがあった。夫婦喧嘩もよくした。しかし、いつまでも根に持たないところが、私たち夫婦のとりえだろう。私も妻も人間が単純にできている。

 私は妻を日頃は「おかこちゃん」と呼んでいるが、ときどき「おかすけ」とか、「おかすけちゃん」とふざけて呼ぶ。そうすると、妻はすかさず、「どうした、とんすけ」と呼び返す。そういうおかしな夫婦である。

 二人の娘に恵まれた。それからローンで思い切って家を買った。子育てと家のローンの二十数年間はわが家の倹約時代である。海外旅行など夢のまた夢で、家族旅行も青春切符を使って倉敷まで行った。とまった旅館も、地震が来れば一気に潰れそうなおんぼろ旅館。しかし、これも貴重な思い出になった。

 妻は部屋に電灯がつけ忘れてあると、雷を落とす。私も娘たちもよく叱られた。そんなケチケチわが家も、去年長女が社会人になって少し楽になった。それで初めて飛行機に乗り、一家4人でタイに行った。来年、次女が卒業すれば、経済的にさらに楽になる。今度は家族でローマにでも行きたいと思っている。

 家のローンはまだ1千万円あまり残っているが、ローンの残高が家の資産価値と釣り合ってきた。家を売れば借金がなくなるわけだから、これからのローンの返済は一種の貯金である。長いトンネルを抜けた思いだ。

 子育ての間は倹約第一の生活が続いたが、精神的に貧乏をしたわけではない。二人の娘もまともに育ったところをみると、多少貧乏なくらいが子育てに良いのかも知れない。我慢をすることを体で覚えるし、格別お金がなくても人間は幸せになれるのだということを学ぶからだ。

 来年になれば次女も社会人として巣立って行くだろう。私もお小遣い倍増で随分ゆとりが生まれるが、ストイックな生活スタイルは変えずに、余剰のお金をさらなる精神的な充足のために使いたいと思っている。とりあえずは、英語の学習や海外旅行だが、待望の世界放浪の旅にも出たい。世界をわが家と考え、ディオゲネスのような「天下の住人」たることが私の夢である。

 子育てについては、実は3人目を育てたいと思っている。プイリピンの貧しい少年に個人的に奨学金を出して、立派な人材に育て上げたい。精神的にも大いに援助して、自分の「息子」にしたいと思っているが、これはまだ私の楽しい白昼夢である。


橋本裕 |MAILHomePage

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