橋本裕の日記
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先週の水曜日に、十数年ぶりに家庭裁判所に行った。受け持ちのT君の審判があったからだ。T君はすでに中学生時代から暴走行為などで鑑別所や少年院を経験している。そこを出て、保護観察中だった去年の11月に、今度は無免許のバイクで信号無視をし、パトカーに追いかけられたあげく捕まったのだという。
このことを個人面接の時にT君から聞いて、「過去のことはいいよ。現在の君をしっかり見ているからね」と言った。しかし、「今回はもうダメかも知れません。また、少年院だと思います」と、さすがT君も気弱になっていた。
審判の時、裁判長から「T君が過去に犯した事件についてはご存じですか」と聞かれたので、「面接をして、暴走族のリーダーだったことなどを聞いています。しかし、現在のT君を見てやりたいと思います」と同じ言葉を繰り返した。そしてT君の学校生活について報告した。
ほぼ毎日学校に来ていること。授業態度も良好で、私の数学の試験はクラスで上から3番目だったこと。そして、クラス委員に自ら立候補して、クラス運営にもたいへん協力的な姿勢を見せていることなど、彼に有利な発言をした。
審判の席には父親も母親も出席していたが、二人ともハンカチを取りだして泣いていた。本人も何度か指で目を拭っていた。その様子を見ながら、私も何とか軽い処分で終わるように祈りたい気持だった。
裁判長は、「本人の犯したことはとても悪質なものです」と言いながら、学校の現状にふれ、本人も新しい生活に踏み出したところでもあり、家族の援助も期待されるとして、ひきつづき「保護観察」にするという寛大なものだった。
法廷の外に出ると、T君のお兄さんも仕事を抜け出してきていた。私の見たところ、父親も母親も、お兄さんもごくふつうの善良な市民という感じである。そして本人も冗談を交えながら和気藹々と会話をしている。こういう家庭から暴走族のリーダーが生まれたことが不思議なくらいである。
家裁調査官を28年間務めた藤原正範さんは、「少年事件に取り組む」(岩波新書)のなかで、非行の起きるメカニズムをガンにたとえ、「性格(体質)」や「環境」だけではなく、「偶然的要因」も重要だと書いている。
<ガンはその人の持って生まれた先天的な要因と食生活や飲酒・喫煙など生活習慣、ストレスといった後天的な要因とが絡みあって発症すると説明されるが、そのメカニズムを百パーセント解き明かすことは不可能であろう。非行も同じであり、非行が起きた事情を説明し尽くすということには絶対ならない。
私が非行をガンに例えるのは、わが子の非行で悩む親に「子供が非行を起こすかどうかは、人がガンに罹るかどうかというようなものですよ」と話したところ、その親がなんとも言えないほどほっとした顔つきになったという体験があったからだ。・・・
どんなひどい犯罪を引き起こした者についても「偶然的要因」を加味して考察するということ、その寛容さこそ科学的な態度とは言えないだろうか。それは、たまたま家裁調査官という職に身を置くことができた「運の良さ」に謙虚になることと表裏の関係にあると思う>
私の場合を振り替えってみても、小学生のときは万引が発覚して何日も学校に行かなかった。高校時代は暴走族に入る一歩手前まで行った。こうして教師をしていられるのも、たまたま運がよかったからかも知れない。
そもそも人がどんな時代に、どんな国の、どんな両親のもとに、どんな資質を持って生まれてくるかということそのものが、「偶然の産物」だとは言えないだろうか。しかし、この出生の偶然によって、その人の人生は大きく違ってくる。
その上に、私たちは人生のさまざまな局面で、さまざまな偶然に出合う。こう考えてみると、いかに私たちの人生が偶然に支配され、その影響下にあるかがわかる。このことを認識すれば、青少年の非行や犯罪についても、私たちはまた少し違った感想を持ち、理解と同情を持つことができるのではないだろうか。
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