橋本裕の日記
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2006年02月12日(日) 財政と家計の違い

 景気が悪くなると、税収が少なくなる。財政赤字に陥り、そこで経費を削減しようということになる。それでもたりない部分はやむをえず借金するか、増税に頼ることになる。この論理は分かりやすい。とくに家計の例を引かれると。そうかなと納得するだろう。

 家計の場合は、勤めている会社が不景気になり、収入が減れば、まずは家族で倹約するだろう。私の家の場合も、私は散髪も自分でするようになり、好きな旅行や友人との会食もほとんどしなくなった。それでもたりない分は、私は公務員なのでアルバイトができないから、妻がパートに出て、急場をしのいだりもした。

 新聞などを読むと、国や地方自治体の財政を、こうした家計に置き換えて説明している。そうすると、これまで遠い雲の上の世界のことだったことも、身近なこととして理解できる。私もこの日記で、たびたびこの手法を使ってきた。しかし、国や地方自治体の財政を、家計にたとえるのは間違っているという意見がある。

 何が間違いかというと、家計は消費が中心だが、国の財政は企業と同じく、生産の主体と見た方がよいからだ。つまり、政府は国民にさまざまなサービスや財貨を提供し、その代価として税金を受け取っている。公共事業などの政府支出もこうした生産活動として見るべきなのかも知れない。家計に置き換えると、こうした視点が失われる。

 つまり家計の支出は消費だが、政府の支出は消費ではない。それはあらたに財貨を生み出す生産活動である。だから、政府支出を抑えるということは、社会に生み出される財貨がすくなくなるということであり、国民経済の規模を小さくするということにつながる。

 そうするとどうなるか。経済が停滞し、国や自治体の税収がさらに減ることになる。そこでいちだんの倹約をしなければならない。こうした悪循環に陥ると、そこからなかなか抜け出せなくなる。これがデフレであり、不況といわれるものだ。

 こうしたことがあるので、政府はふつう不況の時は積極的な財政を心がける。いちばん手っ取り早いのは減税である。これによって家計の負担を減らし、消費活動をたかめようとするわけだ。こうして経済が上向けば、税収が増える。減税に使った政府支出もこれによって回収できる。

 こうした積極的な攻めの財政は、家計と同一視する立場からは生まれない。家計の場合は、支出が収入の増加につながるというフィードバックシステムになっていないからだ。このことは企業の場合にもいえる。赤字を覚悟で生産を拡大したり、従業員の賃金を上げたり、株の配当を増やしても、それが企業の増益にむすびつくわけではない。

 しかし、企業の場合も、攻めの経営ということは考えられる。売り上げが減った場合、事業を縮小したり、コスト削減のためにリストラという後ろ向きの対応ではなく、新たな商品を開発したり、販路を拡大したりして売り上げを伸ばそうという前向きの経営も考えられる。そしてこれは、自治体や政府にも言えるわけだ。

 小泉内閣の5年間は、表向きは家計型の倹約財政だった。小泉内閣は財政を家計にたとえることで、国民に財政改革をアピールした。そして「小さな政府」を標榜し、「民営化」を旗印にして大胆な規制緩和を実行した。

 これが成功したかどうか、議論がわかれるところだろう。私は失敗したと見ている。その証拠はいろいろとあるが、一番分かりやすい証拠は、小泉退陣後に予定されているとほうもない「増税」である。小さな政府というのは、何よりも国民の税負担の軽い政府でなければならない。


橋本裕 |MAILHomePage

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