橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2004年07月06日(火) 自分史を書こう

 以前勤務していた定時制高校では、喫煙や万引き、カンニングなどが見つかり、謹慎になった生徒には、指導部から原稿用紙30枚程度の作文が課題として出されていた。文章など書いたことのない、おちこぼれ気味の生徒にとって、30枚もの文章を書くのはまさに至難のこと。転勤してこのことを知ったときには驚いたものだ。

 作文の内容は「自分史」である。自分が生まれたときから、今日に至るまで、細かいことまで思い出して、とにかく書かなければならない。私のクラスでも毎年特別指導の対象者が出て、作文をかかせたが、もちろんこんなに長い文章がそう簡単に書けるわけがない。

 生徒は強制されてしぶしぶ、辞書を片手に書き始めるわけだが、悪戦苦闘しているうちに、少しずつ文章が進み、生まれたときから、幼年時代を過ぎ、小学生になり、中学生になるところまで来ると、少しずつ、書くことの意味がわかってくる。

 それは何か。自分がいかに多くの人々と関わり合い、ささえられて今日まできたかということだ。こうした認識が芽生え、深まるととともに、彼の内部で何かが変わり始める。

 30枚の「自分史」を書いた生徒の多くは、これだけの文章を書き上げたという自信とともに、それによって自分がこれまでに経験したことのない、意味のある充実した体験をし、そのなかで何か貴重な認識を得たという満足感を与えられるわけだ。

 私もこれに触発されて「自分史」を書いてみた。教師は生徒に書かせるばかりで、自分はあまり書こうとしないが、30枚はおろか、数枚の文章を書くのでさえ、よほどのきっかけや強制がないと書けないものだ。

 私の場合は毎日一枚ずつ、4年間続けて、「幼年時代」「少年時代」「青年時代」「就職まで」を書き上げた。原稿用紙に換算すれば1千枚近い長さになった。書きながら自分の人生についてたくさんの発見があり、これによって人生観もかなり変わった。

 暴走行為で捕まった生徒が書いた「自分史」には、幼い頃に分かれて一度も顔を見ない父親のことや、女手一つで育ててくれた母親のことが書かれてた。最後は、「何か自分もよいことをしたいと思った。それで献血をした。とても気持がよかった」と結ばれていたのを覚えている。

 水道をひねれば水が出るのがあたりまえ、駅へ行けば時刻通りに電車が来るのがあたりまえ、しかし、これらのあたりまえが、実に多くの自然界の恵みや、多くの人々の社会的共同行為によって成り立っているかに気付けば、私たちの人生に対する考え方や態度も変わる。

 「生かされて生きる」という感謝の心、私たちの生が「無限にある多くのものの媒介」によって成り立っているという認識はとても重要である。私たちが幸せに生きるためにも、私たちはこうした人生観を大切にしたいものだ。そしてこうした朗らかな人生観を子供たちに語れる大人になりたいものだ。そのためにも、自分史を書いてみてはどうだろう。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加