橋本裕の日記
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2003年07月24日(木) 日蓮と一念三千

12.苦しみの正体

 釈尊は「この世は苦しみの世界である」(苦諦)という認識を根本においた。それではどうしたらこの苦しみが逃れられるのか。私たちは歓楽や気晴らしによってこの苦痛を忘れようとする。

 しかし、釈尊はそれでは駄目だという。逃げていてはいけない。苦しみそのものの正体をつきとめ、これと向かい合う必要がある。これと対決して、これをうち砕く必要がある。歓楽や気晴らしが必要なときもあるだろうが、それは一時的な対症療法に過ぎない。こうしたものでいつまでも自分を騙していてはいけないという。

 すべてのものが生じるにはそれなりの原因がある。物事は原因があり、これが縁に触れて生じるものだ。たとえば火薬に火をつければ爆発が起こる。爆発の原因は火薬であり、火をつけるという行為が縁である。仏教では原因のことを本因、縁のことを助縁もしくは外縁という。そして本因に助縁が働いて結果が生じることを「縁起の法則」(因縁果の法則)と呼んでいる。

 釈尊によればこの法則を認識さえすれば人はあらゆる苦しみから解放されるという。世の中の出来事は無秩序に起こっているわけではない。ちゃんとした法則に従って生じているわけだから、その法則を知ることで私たちはその苦しみの因ってくるところを明らかにすることができる。苦しみを取り除くことも可能だという。

 これを逆に言えば、私たちが苦しみの世界から逃れられないのは、「縁起の法則」を知らないからだということになる。つまりこうした「無知」が原因だということである。釈尊はこの無知のことを「無明」と呼んだ。つまり心の闇である。この心の闇が根本原因になって、そこに様々な幻想が生じてくる。そして私たちはこの幻想の中に生きているあいだ、迷いの世界にとどまり続け、この世の苦しみから解放されない。

 つまり、苦しみの正体は心の闇の中に生じる幻想であり、これに支配されることで私たちは自由を失い、さまざまな不幸をおびき寄せているわけである。この世の不幸の根本原因は、人間の心の奥深くに巣くっている闇であるということを釈尊がはじめて明らかにしたわけだ。この闇が原因となって、そこに様々な幻想が集まり生じてくる。このことを認識することが大切である。釈尊はこの認識を「集諦」と呼んだ。「諦」というのは「真理」とか「さとり」という意味である。

 釈尊は無明の闇に浮かぶ幻想の中でもとくに人間を苦しめるものは、自我についての幻想だという。この幻想を中心にしてさまざまな我執がおこってくる。人はこの我執故に餓鬼のように貪り、人と争い、あるいは名誉や富貴を渇望して慌ただしく走り続け、心が安らぐことがない。これもまた無明のなせる業である。

「人生は苦しみである」という真理を「苦諦」、「苦しみの根本原因は人間の心の闇であり、そこに生じる幻想である」という真理を「集諦」と呼ぶ。釈尊はこのように苦しみの正体は実体のない幻想だという。こうした幻想から自由になるには、それらが生じてくる根本原因である「無明」を断つしかない。そうすればそこにはじめて魂の平安が得られる。この安らぎが「涅槃寂静」であり、この真理を「滅諦」と呼ぶ。

 私たちはどうしたらこの無明を断ち、涅槃寂静の世界に入ることが出来るのだろうか。実はこれが容易でないことは想像がつく。我々は幻想に支配されながら、そのことを知らない。幻想が真実だと思い込んでいる。なぜなら「無明」ということは「無知」ということでもあるからだ。無知なる者が自らの無知を知ることは、その無知であるがゆえにむつかしい。「無知の壁」を崩して、「無知の知」に目覚めることはソクラテスだからできたことである。

 釈尊の教えも「無知の知」と無縁ではない。しかし、彼はソクラテスのようには議論しなかった。彼は自我というものが幻想に過ぎないことを知っていた。それではどうしたらこのことがわかるのか。そのためには「縁起の法則」を知らねばならないが、それではどうしたらこの縁起の法則が無明の人々に理解されるのだろうか。

 そのためにはただ学問をし、議論をしても無駄である。無明の上に築かれた学問や議論はむしろ無明を深め、我執を強めるだけに終わる。釈尊はこう考えて、無明にうち勝つにはただ思弁的であるだけではだめで、もっと身体に直接響く実践的な方法が有効であると考えた。こうした解脱へのあり方を「道諦」と呼び、具体的に八つの道(八聖道)が示された。

 釈尊の教えはつまるところ、この「四諦八聖道」である。たいへん合理的でかつ実践的である。そこに何の神秘もなく、現代人の我々をも納得させる。なかでも「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」の「四諦」の論理展開は見事だ。これに加えて、釈尊の教えの真骨頂ともいうべきものが「八聖道」である。次はこの「八聖道」について述べてみよう。



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