橋本裕の日記
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39.女の部屋 去年の暮れに和江を知ってから、私は人間が変わってしまった。そして4月に教員になって、大学の女子寮のようなこのアパートに引っ越してきてから、ますます変化した。女の手を握ったこともなく、接吻の味も知らず、セックスなど考えたこともなかった一年前の修行僧のような自分が、今は別人のように遠く感じられた。
貴子の部屋で一緒にケーキを食べながら、私は不思議な感覚に襲われた。何だかもう随分前に、こんなことがあったような気がした。女と部屋で一緒にケーキを食べ、そしてそのあとで、体を求めあう。もうそんなことが、私と貴子との間で何度も繰り返されていたような気がしたのだ。
もちろん、これは私の錯覚だった。私が彼女の部屋を訪れたのは初めてであり、貴子と並んで坐っているピンクのソファや、壁に掛かった西洋絵画の複製を眺めるのも初めてだった。 「シャガールだね」 「ええ、そうよ。屋根の上のバイオリン弾きよ」 貴子は立ち上がって、その絵を壁から外して持ってきた。バイオリン弾きの緑色の顔が印象的だった。
貴子の解説によると、緑色の顔をした人間はシャガールの絵にはたびたび登場するらしい。よく見ると男はバイオリンを弾きながら屋根の上に浮かんでいた。幻想的で美しい絵だと思った。彼女はシャガールの画集を持ってきて、私に見せてくれた。
私はふと画集から顔を上げて、彼女が絵を壁に戻そうとしている後ろ姿を眺めた。黒い豊かな髪がTシャツの背中に垂れていて、ホットパンツのふっくらとした尻が私の欲情を誘った。 「真っ直ぐかしら」 貴子が戻ってきて、立ったまま額縁の絵を眺めた。すぐ近くにある彼女の白い素足に、何となく私の手が伸びた。
貴子はソファに腰を下ろすと、素直に肩を抱かれた。私の手は彼女の魅力的な胸のふくらみに伸びた。Tシャツの下に手を入れて、ふくらみの感触を味わい、そのいただきにある蕾も指先で愛撫してみたが、彼女は表情を変えるでもなく、壁の絵を見つめていた。私は自分だけが興奮しているようで、恥ずかしくなってきた。
私が手を離すと、貴子はちょっと意外なような表情で私を見つめた。それから微笑すると身だしなみを整えて立ち上がった。帰ってきた貴子の手に、自動車学校の入校案内のパンフレットが握られていた。
<今日の一句> 咳をして チョコレート食う 夜更けかな 裕
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