橋本裕の日記
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2002年09月30日(月) 結婚まで

19.有能な実習助手
 正直に告白すると、教師になってこの20数年間、自分の思ったような授業ができたことが滅多にない。しかし、例外を言えば、それはこの僻地の学校でのかけだしの2年間だろう。私は自分が理科の教師であることを大いに楽しむことができた。

 それはひとつには生徒がよかったからだ。というより、生徒や教師の置かれていた環境がよかったからだろう。進学する生徒はほとんどいなかったので、私は受験を気にしないで、自分の好きに授業をすることができた。小さな学校で、物理の教師は私しかいなかったので、何ら掣肘を受けなかった。

 しかし、新米の私がまがりなりにもそれらしい理科の授業ができたのは、助手の岩野さんの助力があったからだ。岩野さんは様々な実験装置を作ることにかけてプロ級の腕を持っていて、実に献身的に私の授業を助けてくれた。

 たとえば、波の回折と干渉について教えるとき、私は岩野さんから「これを使って下さい」と、底の広いプラスチックでできた四角い容器を渡された。その透明な容器に水を入れ、OHPの台の上に置くと、スクリーンに水の波紋が映し出される。黒板に絵を描くより、はるかに波の様子がダイナミックに観察された。

 そこにモーターに連動した震動球をセットすると、水面にきれいな同心円の波紋が広がるのが見えた。その先に障害物やスリットをおけば、波が回折するのが見える。同様に2個の球を同時に震動させることで、干渉現象もきれにに観察された。しかも振動数やスリットの幅を調節することで、その定量的な関係まで推測できる。

 こういう装置を使えば、波の現象が手に取るようにわかる。しかし、そうした装置を作るのは容易ではない。よほどの技量と時間がなければ無理だろう。しかし、そうした手作りの装置のおかげで、授業はずいぶん変化のある刺激的なものになった。私自身授業をしながら、そうした創意と工夫が出来るのが楽しくてならなかった。理科の授業はこうでなければならないと思った。

 理科の授業の他に、私は週2時間の選択物理の授業を持っていたが、私はこの授業でさらに自分の理想型を求めた。つまり、教科書は使わず、生徒達に自分たちでグループを作り、テーマを決めて、それに相応しい実験をさせ、レポートを書かせ、最後にはOHPを使って自分たちの研究結果を発表させた。

  これは少し大げさに言えば、私がアメリカの教育学から学んだ教育理念だった。デユーイの本には、教育とは本来自分で考え、そして考えたことを意見として発表する力を養うものだと書いてあった。こういう西欧的な基準から、私自身が受けた日本の教育を見てみると、随分時代遅れのように思えた。ただ知識を丸暗記するだけではコンピューターの記憶装置とかわらない。いや、その性能においてはるかに劣ると言わなければならない。

 物理という教科を通して教えるべきことは、論証と実証にもとずく真理探求の方法であり、それは具体的には、自分で実験し、推論し、その過程を論理的に言語によって表現することである。こうした実践的な能力をやしなうことこそが科学教育の目標ではないか。いかに多くの知識をため込むかではなく、その知識を活用して、いかに自分の意見を組み立て、客観的に表現することができるかで学力は評価されるべきではないか。

 こうした考えに基づいて、私は3年生の選択授業では筆記試験は行わず、評定はレポートとプレゼンテーションでつけることにした。生徒は私の意を汲んで、熱心に実験に取り組み、私自身が驚くような内容のレポートを書いてきた。そしてOHPを使って、楽しそうに発表した。まさにこれこそが私の理想とする授業実践だった。しかし、こんな型破りな授業が、最初の年からほぼ満足できる形でできたのは、岩野さんという有能な実習助手がいたからこそだった。

<今日の一句> 秋草に 耳を澄ませば 風の音  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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