橋本裕の日記
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無謀な戦争を起こして国民を惨禍にまきこみ、諸悪の根元のように言われる日本の軍部だが、その軍部に果敢に抵抗した人々がいる。今日紹介するのは、戦前の帝国憲法のもとで、言論の自由を擁護し、軍の独裁を批判して一歩も譲らなかった帝国議会の勇士たちである。
大正2年、立憲政友会の尾崎萼堂は帝国議会で、桂小五郎内閣糾弾演説を行った。日露戦争を勝利に導き、絶大な権力を手中にしていた桂首相に、その増長を戒め、性格まで誹謗するような演説をした。
「君はつねに口を開けばただちに忠愛を唱え、あたかも忠君愛国は自分の一手販売のごとく唱えている。しかしその実態はどうか。天皇陛下の名の下に、ただ私利私欲を行っているに過ぎない」
この尾崎の演説に、満場総立ちとなって議員達は拍手喝采を送ったという。もちろん桂を支える藩閥軍閥はこれに怒った。薩摩の樺山海軍大臣は「それほどまでに反薩摩的言辞を弄するのならば、議会に大砲をぶちこむぞ」と恫喝したという。しかし新聞はこぞってこれを批判し、結局この尾崎の発言が導火線になって、桂内閣が倒れた。桂はこのあと悶死したという。
この尾崎の大演説の5年後に、藩閥出身ではない衆議院議員の原敬が総理大臣に選ばれ、平民宰相とよばれた。しかし、世界大恐慌がおこり、日本の経済もたちまち苦しくなる。日本をめぐる世界の情勢も厳しさをまし、軍部は国民の不満を背景に満州事変を起こすなどして着実に影響力を貯えていった。
こうしたなか、昭和11年に2.26事件が起こった。翌12年1月の帝国議会で、浜田国松代議士は、寺内陸相を相手に、「最近の軍部をみるに、あなたがたは独裁の道を歩んでいるのではないか。軍人は政治に関わってはならないはずである。軍という立場で政治を行うところに危険がある」と指摘した。
立ち上がった陸相は顔を紅潮させながら「軍部独裁など考えていない」と否定したあと、「軍人に対していささか侮辱するかのごとき言説があったのは遺憾である」と憤慨した。これに、浜田代議士が噛みついた。
「自分の言説のどこに軍隊を侮辱した箇所があるか。いやしくも国民を代表している私が、不当な喧嘩を吹っかけられては後へは引けぬ。どこが軍を侮辱したのか、事実を上げよ」(浜田代議士)
「侮辱したとは言っていない。ただ侮辱するかのような言辞は、軍民一致の精神を阻害すると言いたかっただけである」(寺内陸相)
「侮辱したと最初に言っておきながら、こんどは侮辱に当たるような疑いがあるとトボケてきた。武士は古来、名誉を重んじる。事実も根拠もなくして他人の名誉を傷つけるのは許しがたい。・・・速記録を調べて、小生の発言に軍を侮辱した言葉があるかどうか探してほしい。あったら割腹して君に謝罪する。なかったら君が割腹せよ」(浜田代議士)
この発言で議場は混乱した。怒った陸軍は広田首相に議会を解散するか、浜田代議士を政友会から除名させるように詰め寄った。このとき、浜田国松は70歳、明治37年以来議員歴30年を超す政界の長老だった。2日間議会は停止し、そのまま広田弘毅内閣は総辞職してしまった。
この頃の議会にはまだこのような言論の自由があり、これを守ろうという気概のある議員達がいた。それは軍人の横暴を憎む国民の声が残っていたからである。朝日などの大新聞も戦争賛美に傾いていなかった。この結果、浜田代議士は議会で何の譴責をうけるこはなかった。そしてこのあとの総選挙でも、与党は敗北し、林銃十郎内閣も続いて総辞職する。
しかし、陸軍はこの年の7月7日、廬溝橋事件を起こし、ついに日中戦争へと突入する。そしてこの年の暮れには首都南京にせまるほどの破竹の勢いだった。これに国民は熱狂し、新聞も一転して戦争をあおり立て、軍部を賛美するようになる。昭和14年に浜田が死んだ。南京は陥落したものの、日中戦争は泥沼化しつつあった。
昭和15年、今度は民政党から斎藤隆夫代議士が立って、当時の畑俊六陸相に、すでに10万を超える犠牲者を出したこの戦争にどんな意味があるのかと「聖戦の意義」を問う。畑陸相は彼の理路整然とした議論に感心し、「政治家というものは、なかなかうまいこと急所をついてくる」とため息をもらしたという。
これが有名な斎藤の「反軍演説」と呼ばれるものだ。しかし、この斎藤の発言に対して、仲間の同僚議員たちが異議を申し立てた。なんと「聖戦目的を侮辱するものである」として斎藤代議士を除名し、発言そのものを議事録から削除してしまった。さらに「聖戦貫徹に関する決議案」まで可決した。
4年前に浜田代議士の演説を支持した代議士達が、今度斎藤弾劾に動いたのは、戦争に熱狂した国民の声が軍部の側にあったからである。軍部にさからっては自分たちが当選できないと判断したからだ。この日、議会は自らの手でその生命を終わらせた。そして「反軍演説」から5年たって、日本は二発の原子爆弾を落とされて敗戦を迎える。
意外に思うかも知れないが、帝国憲法下においても議員の言論の自由は保障されていた。(大日本国憲法第52条)。しかも議会は予算を決定すべき権利を握っている。いくら軍部が戦争をしようと思っても、軍費がなければこれを遂行することはできない。だから力関係から言えば、議会が上である。ただ代議士が怖いのは、選挙民である。国民の多数の声が戦争に傾いたとき、議員はこれに抵抗することはできない。このことは今も昔も、未来も変わりない現実である。
<今日の一句> いわし雲 どこまで続く 秋の空 裕
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