橋本裕の日記
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歌人の上田三四二さんが、「短歌一生」(講談社学術文庫)の中で、こんなことを書いている。
「生活や風景をくっきりと掬いあげて、生きていることの実感を貯え、味わわせてくれるもの、それが短歌である」
「歌はその人の人柄の出たものがよい。人柄は生活を歌ったものにでやすい道理だが、鈍くうたっていてはただの報告に終わってしまう。細やかに心を澄まして、生活の中の哀感を、感動のよすがとなる事物に寄せて、端的に歌いあげるのである」
「怨念ということが言われるが、私は、歌は浄念でなければならないと思う。・・・歌人は、残酷のむき出しになった今のような時代であればあるほど、いっそう心を澄ませ、うちに悪念なく、世の清らかさを求めて祝福の言葉を唇にしなければならない」
「詩歌は存命のよろこびを歌うものだ。せつに、そうおもう」
これらの言葉を残した上田さんが好きだというのが、茂吉の次のうただそうだ。私も大好きである。
くさぐさの実こそこぼゆれ岡のへの 秋の日ざしはしづかになりて 茂吉
最後に上田三四二さんの歌を一首引いておこう。彼が40代で結腸癌を病んだときの歌である。蛇足になるが、彼はお医者さんである。一日は「ひとひ」と読む。
死はそこに抗ひがたく立つゆゑに 生きてゐる一日一日はいずみ 三四二
一日一日が泉だというのは、抗いがたいものとして死を意識した三四二さんの実感だったのだろう。三四二さんが好んで口にする「存命のよろこび」は徒然草の中の言葉である。 「されば、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」) (第93段)
(参考文献) 「短歌一生」 上田三四二著 講談社学術文庫 「眩暈を鎮めるもの」 上田三四二著 講談社学術文庫 「徒然草を読む」 上田三四二著 講談社学術文庫 「この世 この生」 上田三四二著 新潮社
<今日の一句> うつむきて 何を夢見る 百合の花 裕
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