橋本裕の日記
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2002年07月10日(水) 議員抽選制のすすめ

 長野県議会は5日、賛成44、反対5で田中知事の不信任案を可決した。反対したのは共産党だけである。ところが長野県世論調査協会(社団法人)のアンケート調査のよると、有権者の61・6%が知事の不信任決議に反対し、賛成は27・9%にとどまっている。田中知事のダム建設中止方針についても、「賛成」(58・8%)が「反対」(23・8%)を大きく上回っている。

 調査から、県民の多くは知事の政策を支持していることがわかる。おなじく選挙で選ばれながら、議員たちの意識と知事や県民の意識とはずいぶんかけ離れている。どうして議会と有権者とのあいだにこうした乖離現象が起こるのだろう。これは長野県の特殊事情だろうか。

 私は有権者と議員の意識の乖離現象は今日の日本ではむしろ恒常的なものだと考えている。国政の場合は議院内閣制のもと、最大党派から首相がえらばれるので、議会との軋轢や対立は表面化しない。地方でも首長公選制だとはいえ、実態は議会の派閥政治の力学のなかで首長が選ばれている。議会と首長が国政以上に癒着している。

 だから、知事は県民よりも議会の意向を汲んで政策を実行するのだが、田中知事の場合はその手法が違っていた。公約通りみずからの信念を貫き、ときには議会の頭越しに県民に信を問うた。いわば直接民主主義の手法を使ったわけで、議会はこれに反発した。

 田中知事の手法に若干の問題があったとはいえ、利権に支配された国政や県政を改革するには、首長がこのくらいの指導力を持つ必要があるのだろう。とくに地方の場合、建設関係者が県会議員や市会議員の中に占める割合が異常に高く、彼らが議会の主導権を握っている。彼らが自らの利権にしがみつき、いわゆる「抵抗勢力」となって、「脱公共事業政策」に反対することは目に見えている。

 それではどうしたら利権政治を打破し、議会に有権者の意志を正しく反映させることができるのだろうか。そのためには、私が以前から主張している「議員抽選制」が有効だと考える。つまり地方議会の全議席、国会の半分の議席を有権者のなかから抽選で選ぶのである。議会と有権者の意識の乖離がなくなれば、公選制で選ばれた首長が気持ちよく仕事ができる環境が整う。

 ギリシャの民主政治はペリクレスによって大胆に改革され、市民全員が議決権を持ち、執政官をはじめ政府の役職者はすべて抽選で選ばれることになった。ちなみにこの改革を主導したペリクレス自身は結局執政官にはなれなかったという。首長レベルまでくじ引きにするのはどうかと思うが、私はこれが民主政治の究極の姿かも知れないと思っている。

 議員抽選制は擬似的な直接民主制であり、この制度のもとでは、人口比に応じて、さまざまな職業を持つ人が政治にかかわりを持つことができる。そうすれば土建業者に議会を支配されることはないし、極端な男性優位や高年齢化も解消される。業者との癒着や賄賂もなくなる。

 公選制で選ばれた首長との軋轢もなくなり、議員の知的レベルや品性もずいぶん改善されるに違いない。参政権とはたんなる選挙権ではない。有権者自らがさまざまなレベルの政治に直接関わることで、成熟した政治意識が生まれる。意識が変われば、政治も変わる。

 議員抽選制の考え方は、あまり一般的とは言えないが、アメリカの有力な政治学者が提唱していたことを、トフラーの名著「第三の波」で知った。トフラー自身も「議員抽選制」に反対ではないようである。とはいえ、日本の政治学者でこれを主張している人は知らない。日本の場合は裁判の陪審員制度でさえ、「民主主義が成熟していない」という理由で、退けられている。

「議員抽選制」は私の夢だが、その前に、せめて「首相公選制」くらいは実現させたいものだ。自分たちのリーダーを自らの手で直接選ぶというのは、誰が考えてもあたりまえのことであり、民主主義の基本だからだ。

<今日の一句> さわやかな ほほえみ涼し 夏日かな  裕


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