橋本裕の日記
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2002年07月03日(水) 母の思い出ノート

 私の手元に、赤茶けた一冊のノートがある。表紙に「社會帳」と書かれ、「4年青山照子」と書いてある。私の母の女学校時代のノートだから、もう随分前のものだ。中を開くと青いペン字で、啄木の詩や短歌が写されていて、「啄木について」という文章が綴ってある。23年6月27日夜11時という日付が最後に書いてある。

 このノートを母から見せられたのはいつのことだかもう覚えていない。恐らく私が高校時代の頃ではないだろうか。以来、30年以上このノートは母の手を離れ、私の手元にあったわけだ。

 二十歳前の母の文字は、流れるよに美しく、書き直しは一字もなく、見事な達筆である。50歳を過ぎた私でさえ及ばない。啄木の詩や歌も好きだが、私は母のこの文字が好きで、ときどき取り出して読んでいる。母の大学ノートから、啄木の短歌を三首引いておこう。

  いのちなき砂のかなしさよ
  さらさらと
  握れば指のあひだより落つ

  ふるさとの訛なつかし
  停車場の人ごみの中に
  そを聴きにゆく

  ふるさとの山に向ひて
  言ふことなし
  ふるさとの山はありがたきかな

 ところで、昭和23年6月27日という日付に興味を持って、ちょっと調べてみた。6月13日に太宰治が玉川に入水自殺している。そして、もっと驚くべきことは、翌日の6月28日の夕方、福井大震災が起こっていた。

 つまり、母がこの日付を書き終えた翌日、大惨事が起こり、福井市内にあった母の家は丸焼けになったわけだ。4千人近い人命が失われたなかで、母も倒壊した家屋の下敷きになり、迫り来る炎の中で九死に一生を得ている。こうした惨事の中で、よくこのノートが残ったものだ。 

<今日の一句>  母の手の 啄木の歌 うら若し  裕


橋本裕 |MAILHomePage

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