橋本裕の日記
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| 2002年05月30日(木) |
「二次方程式と因数分解」(3) |
G「今までのところで、もうすこし踏み込んで知りたいことがあるのですが、質問していいでしょうか」
私「もちろん歓迎します」
G「因数分解するとき、できたものと仮定して、
x<2>+2x−35=(x+□)(x+○) ・・・・・・(2)
と置きましたね。私はこれがこの問題のポイントだと思いました。同時に、何かここには<飛躍>があるような気がするのですが・・・。数学ではこうした発想が大切なのでしょうか」
私「その通りです。できたものと仮定する、これは<存在の仮定>です。方程式を立てるという考え方の根底にあるのも同じ発想ですね。答えが存在したとして、それを<X>と置いて、式を作るわけです。こういうものごとを<仮定>することから<数学>の世界が始まります」
G「そうすると、数学をするには、想像力とか空想力が必要なわけですね。<仮定する>というのは、現実を離れて、別の世界を考えるわけですからね。そういえば、<虚数>などというわけのわからない<数>も習ったような気がします」
私「そうです。<虚数>は英語で言うとイマジナリ・ナンバーです。つまり<空想上の数>なわけですね。これに対して、実数は<リアル・ナンバー>で<現実の数>と呼ばれている。しかし、この<空想上の数>の登場するところが、数学らしいところだと思うのです」
G「ユークリッドが定義した点とか、直線とか、円などというのも、実際は論理上の想像の産物なんすね。実際には面積を持たない点や線は存在しませんし、完全な円などというものも存在しないでしよう。人間の頭の中だけに存在する観念でしかないわけですものね。考えてみれば、私たちが使っている<言葉>そのものがこうしたイマジナリとしての性格を持っていますね」
私「そういうことです。そしてこうした抽象的な概念を考え、これを自在に組み合わせるることで、現実というものがよりよく理解されるわけです。方程式の問題に帰ると、<x>という解を仮定することで、はじめて式を書くことができ、<x>そのものの値を求めることができます」
A「こうした方程式を立てて解くというような考えはいつごろからあったのでしょうか」
私「数学の歴史に詳しくないので、はっきりしたことは言えませんが、発想はギリシャ時代からあったと思います。ただ、方程式として具体的に表現されたのは紀元後のインドやアラブでだったようです。未知数に<x>という記号を導入したのはデカルトです。このころから、数学が飛躍的に発達して、やがて微分や積分が発明されるわけです」
G「デカルトの時代の数学を、いま学校で私たちが勉強している訳ですね。方程式を学習するのは、中学になってからでしたね」
私「そうです。いわゆる<9歳の壁>というのがあって、このころ、私たちの大脳の前頭葉ができあがり、働きだします。そうすると、これまでの感覚的な知能の段階から、もうすこし高度な操作的知能の段階に至ります。とくに11,12歳をすぎると、現実の世界にはないことも思考可能になるわけです。そして、抽象的に考えだしたものを、形式的に操作することができるようになります」
G「そこで、<x>を使った方程式の登場となるわけですね」
私「そうです。<算数>から<数学>への飛躍と言ってもいいですね。Gさんが最初に<飛躍>があると言ったのは、正しい直観でしたね。大切なのはこの<飛躍?であり、これが私たちの思考を現実の縛りから解放して<自由>にします。この自由を手に入れれば、私たちは仮説の上に立って、実践的に思考を進めていくことができるし、問題を首尾一貫した論理的体系としてとらえることもできるようになります」
G「数学を勉強するのに、想像力や空想力が必要だとは考えてもいませんでした」
私「<集合論>を作り出したカントールという数学者は<数学の本質は自由である>と言っていますが、まさに名言だと思いますね。数学は人間の<空想力や想像力の産物>だと言ってもいい。そしてその本質は因習的な常識に囚われずに、<自由に考えること>でしょうね。さて、哲学好きのGさんと話していたら、話がずいぶんと高尚になってしまいました。初歩的な質問でもいいですから、他の方もお願いします」
<今日の一句> 琵琶の実が 色づきにけり 小鳥来る 裕
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