橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2002年03月31日(日) ほがらかであること

 私たちは時として、ほんのささいなことで幸福になる。たとえば、雨上がりの道端できれいな色をした花を見たり、無邪気に駈けていく幼い子供たちの声を聞いたり、風に吹かれていて、ふと遠い昔の記憶を取り戻したり、そんな他愛のないことで、なんだかすっかり気分が明るくなる。

 幸福とはなんだろう。私はそれは機嫌がよいことであり、朗らかな気分のことではないかと思う。世間的にどんなに成功して、地位や名誉がある人でも、ほがらかさを持たないひとは幸福とはいえない。

 反対に、どんなあばら屋に住んでいても、たとえ病床で死を待つしかない運命の人であっても、朗らかな心と笑顔を持っている人はしあわせである。なぜならその人は心の中にすばらしい幸せの泉を持っているからだ。

 それでは人はどうしたら、そんなに底抜けにほがらかになれるのだろう。それは持って生まれた性格だろうか。私のような陰鬱なたちの人間には、その秘密はよくわからない。

 しかし、私のような人間も、ときには心に中に晴れ間がひろがるように、ほがらかな気分になるときがある。たとえばゲーテの次のような言葉を目にしたりすると、なんだか訳もなくうれしくなる。

「人間は地上で楽しむためにはわずかの土塊があればいいのだ。地下で休むためには更にわずかの土塊があればいいのだ」(「若きウエルテルの悩み」より)

 幸せになるために、ほんとうは大それたものは何も必要ないのかも知れない。ただ自然に力を抜いて、この土の上に裸で立てばよいのだ。そして幼子のように目を細めて無心に空の青さを眺めること。しかし、そんな簡単なことが、実は一番難しいのだろう。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加