橋本裕の日記
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2002年03月22日(金) 見えない努力

 中学生の長女が、高校は普通科ではなく、看護科にすすみたいと言い出して、看護科のある県立高校のパンフレットを見せたとき、私は「大学へ行かなくていいの?うちは借金があって貧乏だけど、大学くらいは出してあげられるよ」と一応確認した。「看護婦になりたいから」と長女。妻も私も長女のこの選択に反対しなかった。

 道端で身をかがめて具合悪そうにしていた見知らぬ人に、通学途中の長女が近づいて親切に話しかけていた、そんな情景を近所の人が見ていて、「感心ですね」と話してくれたことがある。まあ、そんな面倒見のいいやさしいところがあるので、看護婦にはむいているかなとも思った。

 その長女が高校に進学して、2年生が終わる頃、国立大学の看護学科に進学したいと言い出したとき、私は意外だった。そして、まずそんなことが可能だとは思わなかった。長女は中学時代はテニスであけくれた感じで、勉強は得意な方ではなかった。推薦で県立高校の看護学科に入ったので、受験勉強らしいこともこれまでしたことがない。

 高校に入ってからも近所の歯医者でアルバイトをしたり、デートをしたり、漫画を読んだりばかりで、ろくに勉強している様子はない。これで難関の大学入試に合格できるなど、虫がよすぎると思った。しかし、またどうして、急に大学進学を考えるようになったのか。

 部活動で一緒だった先輩が、とてもいい先輩で、その先輩の進学した大学へ行きたいということも一つ、アルバイト先で出会ったとても知的で魅力的な大学生の影響、そして病院での実習体験も大きかったようだ。進路を看護婦に限定しないで、もう少し広く考えて、さまざまなことを学びたいと思ったのだろう。しかし、現実はそれほど甘くはない。いまさら手遅れではないかと思った。

 予想した通り、共通一次(センター入試)の点数は、英、数、国とも、あまりぱっとしない。同じ高校から受験するA子さんと比べても、はるかに低い点数である。きくところによると、A子さんは1年生の頃から大学進学に照準を合わせて、河合塾に通って勉強したのだという。長女の場合、塾はおろか、模擬試験をうけた形跡もない。とても受験生とは思えない暢気で優雅な生活だった。

 ところが、ふたをあけてみると、高得点のA子さんが不合格になって、長女が合格した。妻は涙を流して喜んでいたが、私はなんだかキツネに化かされたような気持である。世の中には不思議なこともあるものだと思った。

 こうしたことが起こったのは、大学入試が多様化して、大学が学力だけで合否を決めなくなったせいだろう。長女の場合は共通一次の成績は悪かったが、小論文や面接の成績がよかったようである。

 長女は中学生の頃から看護婦になりたいと言っていたので、志望の動機などはかなりしっかりしていた。その上に、歯科でのアルバイト体験や、1ヶ月近くあった病院での実習も自分の進路を考えるよすがになった。一般の受験者と違って、こうした現場に身を置いた体験の重みは大きい。

 あとで知ったことだが、ノートに医療関係の新聞の記事を切り出して、医療問題について自分なりに考えていたようである。親の知らないところで、本人なりに努力していたということだろう。あまり、「奇跡だ」などと騒ぎ立てるのは、本人に対して失礼かも知れない。

 長女は高校では合唱部と数学クラブに入っていたが、面接官の一人が「数学というのはどんな学問ですか」と訊いてきたらしい。長女は父親の口癖を思い出して、即座に、「数学で大切なのは、証明です」と答えたらしいが、これでいくらか点数が稼げたのかも知れない。まぁ、私も少しは貢献したわけだ。

 大学生になった娘は、歯医者のアルバイトがいそがしくて、ほとんど家では勉強しないと言う。それでも英語や中国語の授業は面白いというし、何とか及第点をもらえたようだ。専門の看護科目については、昔取ったなんとかで、最高点だったと喜んでいたが、すぐに天狗になる性格は私に似ているのだろうか。ともあれ、大学の入試がこうした形で変わっていくことは、とてもよいことだと思わずにはいられない。


橋本裕 |MAILHomePage

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