橋本裕の日記
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エラスムスとならぶルネサンス最大のモラリスト(人間論者)、モンテーニュ(1533〜1592)は、フランスのボルドーに地主の子として生まれた。彼の生きた16世紀フランスは、ユグノー戦争の「聖バルテルミーの大虐殺」をはじめとして、人間同士が利害と狂信のために殺し合う時代だった。彼はこうした多くの惨劇がおこった狂気の時代を、高等法院の評議員やボルドー市長として生きた。
彼はこうした嵐の時代を生きた人生経験から、争いをなくすためには「寛容」と「対話」が大切であると考えた。彼のこうした主張は、彼の死後、異教徒に対して信教の自由を認める「ナントの勅令」として結実している。
また、こうした彼の人生哲学は「エセー(随想録)」の中に見事に書き残されていて、後代の知識人に大きな影響を与えることになった。今日はその中から、私の好きな言葉をいくつか紹介しよう。
「孤独の目的はただ一つ。すなわち、もっと悠々と安楽に生きることである」
「私の書くものには、正義や理想や使命感に類する言葉が極端に少ない。使ってあったとしても、反語的に使われているに過ぎない。それも私が、絶対的な何ものかを持っていない証拠である」
「私は自分を凡庸な人間だと思っている。しかし、ただ、そう思っている点だけが、他の人と違うところである。私は、最も低劣で平凡で欠点だらけの人間であるが、私はそれを隠しもしないし、弁解もしない」
「私はただ、自分の値打ちを自分で知っている点だけが、自分の値打ちだと思っている」
「健全な精神を作るには、学問はあまり必要ではない」
「ある者は鼻をたらし、目やにを出し、垢だらけで、夜中過ぎに書斎から出てくるのだが、はたしてたくさんの書物の中に、立派な人間になり、より幸福になり、より賢明になる方法を求めているのだろうか」
「事物を解釈するよりも、解釈を解釈する仕事の方が多く、どんな主題に関するよりも書物に関する書物の方が多い。われわれはたがいに注釈しあうことばかりしている」
「われわれは他人の知識で物知りにはなれるが、少なくとも賢くなるには、我々自身の知恵によるしかない」
「なるほど書物は楽しいものである。けれども、もしそれと付き合うことで、しまいにわれわれのもっと大事な財産である陽気さと健康を失うことになるなら、そんなものとは手をきろう」
「私が孤独を愛し、これを説くのは、隷属と恩義に縛られることを死ぬほど嫌うからである。人の多いことをきらうのではなく、仕事の多くなることを嫌うからである」
「精神を鍛練するもっとも有効で自然な方法は、私の考えでは、話し合うことである。それは人生の他のどの行為よりも楽しい」
「いかなる信念も、たとえそれが私の信念とどんなに違っていようと、私を傷つけない。どんなにつまらない、突飛な思想でも、私にとって人間の精神の所産としてふさわしく思われないものはない」
「私と反対の意見は、私を憤慨も興奮もさせずに、私を目覚めさせ、鍛えるだけである。われわれは人から矯正されることをいやがるが、本当は自分からすすんでそれに立ち向かわねばなるまい」
「私は、真理をどんな人の手の中に見いだしても、これを喜び迎える。そして、遠くからでも真理の近づいてくるのを見れば快く降参して、私の負かされた武器を差し出す」
「竹馬に乗っても何にもならない。なぜなら竹馬に乗ってもしょせんは自分の足で歩かなければならないし、世の中でもっとも高い玉座に昇っても、やはり自分の尻の上に坐っているからである」
「死ぬのをいやがらないということは、生きるのをよろこぶ人にのみふさわしいことである」
「人は病気だから死ぬのではない。生きているから死ぬのだ」
モンテーニュは海外に出かけたキリスト教徒が、現地の非キリスト教的な土着民よりもはるかに残忍であり、倫理的にも劣る行為を犯していると批判している。彼のこの主張は、当時の心あるキリスト教徒に深い衝撃と内省の機会を与えた。まさに、現代に通用する叡智の人だと言えよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
パスカルはモンテーニュが嫌いだったようである。こんな悪口を言っていることからもわかる。
「私はモンテーニュを許すことができない。彼は人間の悲惨を言つたが、人間の偉大について言はなかつた。また、エピクテトスも許せない。かれは人間の偉大を知つているが、人間の悲惨を知らなかつた」(サシとの対話)
パスカルの「パンセ」も、モンテーニュの「エセー」も好きな私は少し困ってしまうわけだが、しかし私の嗜好は次第にパスカルからモンテーニュの方に変わりつつある。パスカルの「許すことができない」という発言よりも、モンテーニュの寛容と対話の世界により多くひかれるようになったせいだろう。
パスカルの文章は高校生でも分かるが、モンテーニュのいぶし銀のような滋味豊かな文章は、あるていど人生経験を積まないとわからない。パスカルが神を夢見る絶対主義者だとしたら、モンテーニュは神々の調和と人間の平和を願う相対主義者ということになろうか。彼の視線はあくまでも、神の栄光ではなく、人々の幸せの方に向いている。
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