橋本裕の日記
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2001年10月04日(木) 小泉流「適者生存説」

 小泉首相が「所信表明演説」でダーウインの進化論に触れたそうである。自然淘汰説によれば、「生存競争」によって、「環境に適応できる生き物」だけが生き残る。

 小泉首相はこれを「変化に対応できる生き物だけが生き残ることができる」という風に発言したようだ。「環境」と「変化」、わずかな言葉の違いだが、この違いは注目すべきだろう。

 従来の自然淘汰説は、環境の安定を前提に、その環境に最も適合した種が生き残ると主張してきた。しかし環境が激変する局面においては、むしろ環境に適合すべく高度に進化した種の方が、絶滅する傾向にある。

 例えば、恐竜が繁栄したジュラ紀と白亜紀は、高緯度地域を含めた地球全体が高温多湿で常夏の無氷河時代であった。この環境に適合しすぎた恐竜は、白亜紀末の気候の寒冷化を生き抜くことができず、絶滅したと考えられる。環境に適応しすぎると、変化に対応する能力が失われるのである。

 今は変化の時代である。小泉首相は政治の世界では変わり者だと思われていた。永田町の環境に充分適応しているようには見えなかったが、世論の変化に敏感に対応して、あっというまに頂点に上り詰めた。「変化」に対する適応力が高かったことが、彼が成功した秘訣だろう。

 現代の社会や経済はたしかに進化論で説明されるとわかりやすい。しかし、科学の装いをまとった生半可な進化論は、少し用心してかからなければならない。社会が「競争と淘汰」によって発展するとうそぶく「社会ダーウィニズム」がその先に待ちかまえているからだ。

「社会ダーウィニズム」は強者の支配を合理化するために使われる。西欧列強の植民地支配や帝国主義、奴隷売買や人種差別、ドイツのナチズムがここから生まれている。大企業のリストラを応援し、中小企業の淘汰を押し進める小泉改革に、冷酷な「社会ダーウィニズム」の匂いが感じられる。そう思っていた矢先の国会発言だった。

「変化に対する適応力」とは、身軽に自分の意見や立場を変える保身術にも通じる。しかしこうした適応力をいくら身につけても、ほんとうに大切なものが手にはいるとは限らない。大切なのは、一本筋の通った思想や哲学だろう。そうしたものがあって対話が成り立ち、この対話を通して社会が発展するのである。

 小泉首相はブッシュと並んだ共同記者会見で、アメリカの記者に「日本はどのような貢献が出来るのか」と訊かれて、「ウイ・アー・フレンズ、エブリィシング」と英語で答えたという。エブリィシングとは何でも差し上げるということで、日本の首相の気前の良さにアメリカの記者たちも驚いたらしい。強い者には無条件で従えと言うのが彼の哲学だろうか。


橋本裕 |MAILHomePage

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