橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2001年08月18日(土) 腹の虫と人間

 夏休みも次第に少なくなってきた。そろそろ庭では秋の虫が鳴き始めるころである。とはいえ地球温暖化のせいか、まだまだ暑い。虫も季節がわからなくて、こまっているのではないか。

「虫」という言葉は生まれるという意味の「ムス」という言葉と関連があるのだろう。「大言海」には「虫」は「蒸す」からきたと書いてある。なるほど、蒸したところに虫が発生する。

 ところで虫は人間の体内にも棲んでいる。回虫やサナダムシなど、その代表的な例だろう。空腹でお腹が鳴ると、「ああ、虫が鳴いている」といわれたものだ。私の父は幼い頃母親を亡くしたが、小学校から帰ってくると、すでに母親は息絶えていて、「腹の虫だけが鳴いていた」そうだ。

 私が小学生の頃は、よく虫下しを飲まされた。その結果、日本人の寄生虫感染率は30年前は60パーセントもあったが、いまではほとんど0になった。「腹の虫がおさまらない」「虫のいどころが悪い」「虫が好かない」など、虫を使ったたくさんの言い回しが残っているが、やがてこうした表現もしだいに廃れていくのかも知れない。

 こうした腹の中の虫たちは「寄生虫」と呼ばれて嫌われた。そして徹底的に駆除されてきた。しかし、腹の中の虫たちがいなくなって、すべてよくなったかというと、そうでもない。実は少し困ってきたことが起こってきた。

 腹の虫がいなくなると同時に、花粉症やアトピー、気管支喘息などのアレルギー病で苦しむ人が増えてきたのだ。ドイツのハンブルク大学の研究によると、回虫などの感染率が低い地域では、アレルギー病の発生率の上昇が見られるという。

 京都大学霊長類研究所の調査によると、この20年間で猿の花粉症は少しも増えていない。一方で、サルに棲みついている寄生虫が常に80パーセントを超えていることがわかっていて、ここでも人間における寄生虫の感染率の低下と花粉症発病率との相関が指摘されている。

東京医科歯科大学教授の藤田紘一郎さんは、このメカニズムを免疫学の立場からあきらかにした。簡単に言えば、寄生虫によって産み出された抗体が、花粉などの異物に対するアレルギー反応を抑制しているということである。日本人や旧西ドイツ人のような先進国の人々にアレルギー病が異常に増えた最大の原因は、先進国の人々が体内から寄生虫を追い出したという体内事情にある。

「数百万年にわたって寄生虫と共生してきた日本人の体内には、寄生虫に対する防衛を任務とする「特殊部隊」が用意されていた。この特殊部隊はこの30年で、突如として失業集団となってしまったわけである。この失業した免疫細胞軍団は寄生虫の代りに、僕たちが今知らない間に吸込んでいるダニや花粉などを攻撃するようになり、アレルギー反応を誘発するようになった」

 藤田紘一郎さんはフラリア研究の専門家で、この寄生虫を日本から一掃した運動の推進者の一人である。フィラリアは蚊を感染媒体とする寄生虫でリンパ腺に棲みつき、隠嚢水腫や象皮病を起こす。かっては青森県以南の日本各地でかなりの数の患者がいた。

 ところがこの悪玉のようなフィラリアが実は、もっとおそろしいマラリアを押さえる働きをしていたことが明らかになった。マラリアというのはフィラリアと同じく蚊を媒体とする寄生虫だが、感染者は世界に8億人、年間死亡者が150万人という恐るべき病気である。

 ところがアフリカやアジアの人たちは、ある程度成長していればまずマラリアの犠牲者にはならない。なぜなら生まれてしばらくすると、彼らはフィラリアに感染する。そしてこのフィラリアによる抗体が、マラリアの発病をブロックするからである。ふたたび藤田紘一郎さんの文章を引用しよう。

「日本人は寄生虫ばかりではなく、ウイルスや細菌など身の回りにいる微生物をことごとく追い出してしまった。・・・しかし、清潔志向がここまで極端につき進んだいま、僕はやはり微生物とヒトとの共生を強調したいのである。近視眼的な見方ではなく、長いタイムスケールで観察すると、必ず微生物とヒトとの共生が最も重要であったことを認識する時代がくるであろう。現在の日本に早くもその兆しが見えている」

(参考)「共生の意味論」講談社ブルーバックス


橋本裕 |MAILHomePage

My追加