橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2001年07月11日(水) 円周率に見る数学の歴史(5)

 西洋世界では、アルキメデスの求めた円周率の値が1000年以上も破られなかった。中世期のヨーロッパは学問と知性の暗黒時代だった。それを象徴するのが、東ローマ帝国のユステニアヌス大帝が529年に行ったアカデミアの閉鎖だろう。これによって、多くの学者がギリシャ語で書かれた書物を携えてペルシャに亡命した。

 そのころ、すでにアラブが数学の先進地帯になりつつあった。エジプト、ギリシャ・ローマの古代文明の成果はアラブに継承され、インドの数学(記数法・0の発見)と結合し、やがて9世紀にはアル・フワーリズミー(785〜850)が出て、アラビア数学の栄光の時代を築いた。

彼は算術,代数,天文学,地理学,暦学,さらに日時計や観象儀について広く著作を行ったが、なかでも算術と代数についての著作は数学のその後の発展に大きな影響を与えた.

 彼の著作は12世紀にはラテン語に訳され、『実用算術についてのアルゴリズムの本』という題でアラビア商人たちの手でヨーロッパに伝えられた.今日使われる「アルゴリズム(計算法)」という言葉はアル・フワーリズミーがなまったものだし、Algebra(代数学)という言葉も、アラビア語で「移項する」という意味だから、アラビア数学の影響は大きい。

 とくに、アラビア数学を西洋に紹介するのに功績があったのは、ピサに住んでいたフィボナッチ(785〜850)である。イタリアの裕福な貿易商の息子だった彼は、若い頃にエジプトからシリア、ギリシア、シシリ−など多くの旅行をし、イスラム人の教師からはアラビア数学の深い知識を得た。

 ピサに帰った後、彼は1202年に幾何学や数論の著作である「算盤の書」という書物を著し、とくにアラビア数学の優秀な記数法を多くの人に印象づけた。そして、彼はその証拠として、西洋世界でアルキメデス以来、1000年以上も破られることのなかった円周率の値を更新した。1220年に彼はπ=3.141818・・・を得ている。

 しかし、アラビア数字による記数法をもってしても、「正多角形の方法」による円周率の計算はなかなかの難物だった。ドイツ人のルドルフは1695年に「正多角形法」で35桁まで計算しているが、そのために彼は全生涯を費やすことになった。

 ところが、彼の死後しばらくして、円周率の新しい計算法(アルゴリズム)が発見されて、ほとんど彼の努力は無駄になってしまった。もっともドイツでは彼のこの超人的な努力をたたえて、円周率をルドルフ数と呼んでいる。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加