橋本裕の日記
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昨日に続いて、「政治的解決」について書いてみよう。プラトンやアリストテレスはポリス(共同体)の理想や目的の実現が政治であると考えた。政治とはこうした目的を持って社会(共同体)の運営や秩序維持にかかわる人間の営みであるということができる。
こうした立場に立って、政治的解決とは何かという問いに答えれば、それは「共同体によって定められた法と正義による解決」ということになる。これには最終的には権力の強制執行による解決が含まれているが、その場合も、公正な裁判が要求されることは言うまでもない。
政治と宗教を分離し、近代的政治学の基礎を築いたのがマキャベリ(1469〜1527)である。彼はローマ共和制を理想の国家と考える共和主義者だが、当時内戦状態にあったイタリアの現実を見て、国家の統一を優先させ、専制君主制の必要性を力説した。
そして、政治家は必ずしも道徳家である必要はなく、君主が人情、誠実、信仰心といった美徳を身につける必要はないと主張した。むしろ政治家には狐の狡知さと獅子の獰猛さが必要で、場合に応じては、目的のためには道徳に背馳するような残酷で悪辣な手段を選んでよいという、いわゆるマキャベリズムを提唱した。
こうなると、政治的解決というのは、「法と正義による解決」というよりかは、「詐欺と詭弁と恫喝による解決」と変わらなくなる。彼の著作はローマ教皇により禁書とされたが、たしかにこうした非道徳な説はあまりに挑発的で受け入れがたい。
その後啓蒙的立憲君主と言われたフリードリヒ大王は「反マキャベリ論」(1740年)で彼を批判して、あくまで理性に基づく統治を主張した。つまりはプラトンやアリストテレス、もしくはカントやヘーゲルの主張する「法と正義による解決」の擁護である。たしかにこれが正論には違いない。
しかし、政治の実態は今も昔もマキャベリのいう「権謀術数」の世界に近いのだろう。政治的解決とは、「法と正義を装った、詐欺と詭弁と恫喝による解決」と定義し直したほうが、少なくとも実態にあっているのかもしれない。
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