さっきビューティーコロシアムを見てた。 怖い顔、怒り顔と云われ続けた女の子の整形の話だった。 コメンテーターの出演者達がいう、そんな怖くないよ、もっと前向きに笑顔つくる努力しなきゃと。
あほ。 なんにもわかっちゃいない。 云われたからって、後ろ向きに落ち込むばかりではいけないってことぐらい解ってる。 それを跳ね返す力も必要なことくらいわかっている。 でも、それを支える心さえもダメにしてしまうくらい云われ続けたらどうする? 人の心をめちゃくちゃにしてしまう言葉の暴力ってものの威力が、どんなにすごいかって解ってるの?
それに誰も味方してくれないときの心細さがどんなに不安なことか。 それでも気を取り直して、なにをいうー!と根性をいれなおしても、再び言葉で突き落とされる。 心無い人がなんと多いことか。 無神経な人がなんと多いことか。 そんな奴等の言葉に屈するのはいやだ。 だからなんどでも自分に言い聞かせる。 いつかは言わせなくしてみせると。 そう、どんなに打ちのめされても諦めない強さがある。 だから彼女は出演したんだ。 それをあなた自身の努力が足りないだとか、後ろ向きの考えがいけないとか言うんじゃない! 彼女をそんな風にしたのは、人の言葉だということを知らない奴等に、彼女の心の持ちようどうこういうを資格なんてない。
それに彼女は知ってる。人の見かけが自分をこんな風にしたなら、その風評で起死回生を計るしかないと。 心のもちよう前向きにするため、自分自身を後押しするには、やはり綺麗になった自分に対する風評を利用するしかないと。
他人はそんなちっちゃなことでぐじぐじ悩んでどうするというだろう。 けど、よく考えてほしい。 人の心のって、なにげないそんな心のこだわりをおろそかにしないことから成長するんじゃない? だからコンプレックスと付き合うのって、とってもとっても大切な心の動きです。 そう思います。 他人にとっては、ばかね、そんなんで悩んでというでしょう。 でも違うの。 たしかに何度も何度もつらい目にあって、それに対して愚鈍になれば生きられるでしょう。 けど、私は思う。 他人には暗いマイナス思考にみえるものでも、それはその人の葛藤する心の純粋さの表れだと思う。 だから萎縮した心でも私はイトオシク感じる。
最後に伸介さんが彼女にいった。 よくしゃべったね、と。 あ、伸介さんは弱い心を労わる心を知っている、と思った。 ばかなコメンテーター達の言葉で憤慨した私の気持ちも、これでほっと安心した。
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