2001年05月11日(金) |
クレヨンしんちゃん… |
アニメを見ていて(といっても自分自身はそれほどアニメ好きではないので 見るのはたいてい子供につきあって見る小さい子向け作品ですが) いつも偉いなあ、大変だろうなあ、現実にはちょいと無理だなあと思うキャラクターは、 (現実には無理なんて…いっぱい居る!という突っ込みはおいといて) ・その1 「ポケモン」のサトシとカスミ だってサトシはピカチュウ(体重約6kg…) カスミはトゲピー(約1.5Kg。これでもバカにならない)を 常に抱っこしたり肩に乗せたりしてテクテク旅をしているのである。すごいタフな10才児だ。 もちろん、10才児が学校にも行かず修行の旅をしていていいという時点で 既にこの世の(少なくとも現代日本の)話ではないのだが、 たくましく育てられたものである。私は我が子をあんなに立派に育てられない。脱帽。 ・その2 「クレヨンしんちゃん」の母、みさえ 主人公しんのすけの妹ひまわりは大変おませで賢くてタフな赤ん坊であるが、 もちろんサザエさん時間の住人なので成長しない。永遠にハイハイレベルである。 母みさえは、その赤ん坊の世話を半永久的にやっている。 9〜10ヶ月児とすれば、体重は平均して8〜9kgというところだが、 外出するときは(そして劇場版や特別編で非常事態につっこみ戦う場合も) ひまわりをおぶったままである。 父ひろしは、めったなことではひまわりを抱かない。やはり赤ん坊を持つのは (ついでに荷物を持つのも)母の役目である(実感)。 しんちゃんが幼稚園バスに乗りそびれて遅刻しそうな時は、母みさえは ひまわりを負ぶったまましんちゃんを乗せて幼稚園へと急坂を自転車で駆け登る。 ここでギャグ漫画の登場人物の身体能力の高さを考慮するのは当然だが (親がいない場面では、幼稚園児のしんちゃんもひまわりを軽々とかついでいる) それにしても…永遠におんぶひもから解放されないみさえの姿に、母として涙を禁じえない。 赤ん坊は成長して立って歩くようになってくれると思えばこそ、 多くの労力を要求されても、親には癒しがあるのに…。
というわけで。 いつも馬鹿やってるように書かれてる子供向けギャグ漫画の親たちは、 じつは真っ当に正しく大人の務めを果たし、親業を営んでいるのである。 私なんか時々アタマが下がる。 小さい子向け作品に出てくる親は、空気のようでなくてはいけないし それはすなわち真っ当な親であることを意味する。
今回の劇場版「クレヨンしんちゃん・モーレツ!嵐を呼ぶ大人帝国の逆襲」では 郷愁にひたって子供返りし、大人としての務めを放棄する親たちが出てきて すごくメッセージがはっきりしているのは見る前から判ってはいたのだが、 ひろしやみさえがそうなって、しんちゃん達子供をネグレクトするくだりは結構怖かった。 たぶんヘタな単発ドラマで表現されるよりぞくぞくきたのは、 普段まじめに大人の業務を果たしている彼らを知っているからじゃないかと思う。 長寿アニメのキャラクターは、連続ドラマでもたいてい3ヶ月限りのつきあいになる 実写ドラマの人物よりも、リアルで身近な存在なのだ。
さて、2001年らしく回顧的なネタの今回、 子供に聞いたら「最後のほうはあまり面白くなかった」だって。 確かに終わりの方は小さい子にはわかりにくいし、いろいろと演出上の不満はある。 メッセージが強いぶん、やっぱり「しんちゃん」らしくなく真面目になっちゃってるし。 子供が見て面白いのは、やっぱりしんちゃんとお友達が活躍するカーチェイスの場面だろう。 もともと大人と子供のファン両方を意識して作ってると思うけど、 昨年の「嵐を呼ぶジャングル」が子供好み要素が多かったのに比べて、 今回は年寄り向けだったね。 大阪万博ネタなんて(主なパビリオンの形とか、まざまざと思い出す… 私くらいの年寄りだと、行ってなくても繰り返しメディアで見てるから) 今の若いパパママにはわからないよ…30年前なんだから。 そういえば万博のテーマソングを歌ってた三波春夫が亡くなったのが、 映画公開の一週間前(4/14)だったのだな…は〜。
ところで今回の悪役。 21世紀を否定して、大人たちを過去の世界に連れ去ろうとするハーメルンの笛吹き・ケン (津嘉山正種の美声)の伴侶チャコは、イメージモデル誰なんでしょうか。 他のキャラと違ってほんのり劇画調にうるんだ顔立ちに作られてたのが色っぽいが、 私がイメージしたのは若いちあきなおみってとこでした。
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