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2005年02月12日(土) 祖父危篤。
この日は朝8時から学校に居た。
午前中、父から携帯にメールが入る。
「母方のおじいちゃんが危篤で、母が大分(実家)に帰った。 もしものときどうするか考えておくように。」
びっくりはしたけど、冷静に受け止めていた。 何ヶ月か前から入院してて、 どんどん体力が無くなってきているみたいな事を聞いていたし。
父に電話をしたら、 「今朝一度心臓が止まったらしい。 『その時』は今日かもしれないし、一週間後かもしれないし… 一応覚悟はしておくように。 とりあえず、今日は普通に生活していなさい。 この時間からでは大分にはとても行けないから。」
この日は、専攻3年6人で、 初めてちゃんと集まって打ち上げをする予定。 この1年間のたくさんの「お疲れ様」を一度に、やっと労えるのです。(^^; ごちそーです。
とりあえず、参加しておいた。
「もしも」のメールが来ないように祈りながら。
もう2年会ってないかな。 今何歳だっけ…。 80行ってたか行ってないか、ってとこ?
ずっと離れてたから、いまいち他所事のような気がしている。 ごめんなさい、おじいちゃん。
おじいちゃんもだけど、おばあちゃんとか母も心配だよ。 みんなが泣いてる姿なんて、もう見たくないよ…。
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13日。
おじいちゃんは人工呼吸だけど、自力で心臓も動いているし、 このまま持つのではないかということだ。
すこしほっとした。
13日15:33
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