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2002年07月24日(水) ■向いてない。教育学部のいち学生として。
今のバイトを始めたのは5月1日。 面接だった4月30日、あっさり採用されたとき、 担当はこう付け加えた。
「もしも向いてないな、ってこっちが判断したときは、悪いけど…ってコトもありますから」
みたいなこと。 私は「ふーん」とだけ思った。
「誰でも出来る簡単な…」 「自給がいい」 「1日3時間でいいしフリーシフトならあわせやすい」
入った理由はこれだったし、 辞めさせられてもそれは仕方ない、と。
中学生のお母さんに電話を掛けて、案内のハガキを送ってもいいか尋ねる。 さらには家庭教師を推す。 それが仕事。
もう3ヶ月目にもなって、1件もアポを入れれてない私は、 「私には無駄な給料払ってるだけなのに、なんでまだ辞めさせられないんだろう」 と1ヶ月目から既に思いつつ、 でも私なりに仕事と割り切ってちゃんとやってきたつもりだ。
社員さんは優しい人ばっかだし、まだ期待してくれてるんだろうか? (って雇ってんだから当たり前か) それとも、私が自分から辞めるのを待ってる?
仕事用のテンションもなじんできた…(電話は明るく感じよく話さなきゃいけないしねー) って自分では思ってたんだけど、 矢張り結果が伴わないと「話し方の問題」らしい。 ま、自分じゃ自分の評価の仕様がないけどさ。
お母さんに断られて、ムカつくことはあってもそんなに凹みはしない。(殆どそうだし) 今日元担当に注意されたときは半端じゃなく凹んだ。 注意の前と後では話し方も別に変えてないし、ちょっと一言付け加えるようにしただけ。 お母さんに断られて凹んで次の電話にまた…よりもかえって悪循環な気がする。
自分の中で、
「なんでこんなこといわれなきゃいけないんだ。てめーに私のことが分かるのか(怒)」 「自分情けねぇ…(泣)」 「めんどくせーなぁ、もうヤダ」
が交錯。
「めんどくせー、もうヤダ」は今までもしょっちゅうだったので、 すぐ直るんじゃないかなぁ、とは思う。 でも、かなり沈んだ。 他にも言われてる子はいたけど、大して気にせずにすんなり受け入れてるみたいだった。 私ひねくれ者のさらに上をいってる性格やし。自己中だし。 頭の中に天使と悪魔がいるし。
ウチの家庭教師の方針は本当にいいと思ってるし、 興味もってもらえたら嬉しい。そういうお母さんと話すのはちょっと楽しくなる。 (自分で明るい声出してるから、自己暗示的なものもあるかな)
知名度は低いけど全国規模のグループだし、 業績も1位。家庭教師を続けてくれる人も一番多い。 らしい。
反面、疑問に思うこと、抵抗を感じることも少なくない。
私は今まで塾も家庭教師もやらずに高校入って大学入った。 それは必要なかったのもあるし、面倒だったから。 親も成績をどうとか言う人じゃないし。 (言う前に私が中学では勉強できちゃってたし、私が成績悪かったらどうだったのかなぁ…。弟も割と上だしな。 高校では優等生になんてなれなかったけど、それなりにがんばってたつもり。 科目によっては時々上位だったり下位だったり。 大学受験は妥協したけど、今はこれでいいんじゃないかなー。)
学力って、努力だけでどうにかなるんじゃない。
「学校」っていう形、「勉強」というある一つのモノサシへの適応力が一番モノをいう。
努力も無ではないけど、遺伝、育った環境、それらによる性格。
みんなはそれぞれ違う。 勉強への適応が苦手な子だっていて当然。
勉強モノサシなご時世に、不利なのを悪いと思うのはカタブツというか物知らずというか…。 (私だっていまだにそういう価値観は捨て切れてないし、大学で講義受けなかったら物知らずのままだった)
ウチの家庭教師のいいところに、 「塾にも家庭教師にも頼らずに、いずれは家庭教師をはずして、一人で勉強できるようになるため」 ってのがあります。 お金もかからないし、一人で出来るに越したことはないですよね。
でも、教育改革(ゆとり教育)で、 今まで文部科学省は塾や家庭教師の存在は認めてなかったのに、「内容の削減」で、 学校でやるのはあくまで「最低限」であって、それ以上が必要なら、塾行ってやってください、になったらしい。 塾の存在を認めてしまったようです。
「平等に教育を受ける権利」どころじゃないです。
そこを「一人で勉強」でいいんでしょうか。 高校受験には、「最低限」の範囲内だけでいいのかどうかは知りませんが、 一人でやるってことは、本などで自分で例題見て、…。ってことでしょう。
少なくとも私は、先生が例題を解いたりして、詳しく解説を「言ってくれる」方が、 確実に理解できるんじゃないかと思います。
まぁ、家庭教師を継続すれば済む話ですけど。
電話する先々に 「塾行ってます」「夏期講習頼みました」「もう他で頼んでるところがあるので…」
私が中学時代は、課題やって夏休みは補習があったかどうか忘れたけど、 それくらいだったので、 ものすごい気分的なギャップがあります。
「頭がいいこと」は有利ではあるけど、
勉強だけで測って、それ以外は認めない。
自分を含めて、そういう風に育ってきてしまったことに、憐憫の情さえ感じるようになりました。
勉強を勧めるという仕事は、私には向きません。
今まで書いてきた事は、たった3ヶ月ほど受けただけの講義の知識を基に、 私が考えたことです。
だいたいさぁ、いい大学出たってリストラされるし、 今は「その人に何が出来るか」が出身大学よりも重視される。
今日話したお母さんに「国立大学がどーの」とか言ってましたが、
国立でも下よりは、私立にもいいとこあるし。
ていうか、いい大学入れてどうするの? 2年後に国立大学がなくなることご存知じゃないな?
うちだって例にもれず。…どころかどっかに吸収されます。
でも、勉強が出来たほうがいいのは事実。
私も、「疑問、抵抗」は仕事中は意に介さず、仕事と割り切ってやってます。
もしかしたら、他の人よりも遠慮がちな姿勢だったのかな。 自信を持ってお勧めしてるつもりなんだけどなー。
ごめんなさい、社員さん。
アポインター(電話掛ける人。私も。)は、自らも家庭教師だという設定。 たまにお母さんが「あなたは大学どこの人?」と聞いてきて、 みんなに『○○教育大学です』って言わせるの、なんだかなー。
私(だけ←多分)は本物の○○教育大学の学生なんやけどね。 実際に家庭教師は多いんだと思うけど、 やっぱちょっとやな気分。 私にも愛大学精神(←愛国精神のような使用法で)が芽生えてるのかな。
いや、私の専門は学校教育じゃなく「生涯教育」、しかも美術系だけど。 それは言わない。(卑怯?)
世間は、「教育=学校教育」って思い込んでるから。
『先生になるの?』
…聞き飽きた質問です。
25日00:00
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