2007年05月25日(金) |
死を想う―われらも終には仏なり― |
校了の週、ぽっかり早くあがれた日があったので、新宿のブックファーストへ。石牟礼道子と伊藤比呂美の対談が、平凡社新書から出ていた。石牟礼さんは、もう御本を出さないかと思っていたから、驚いた。すぐにレジにもっていって、その後ルミネのスープ屋で、むさぼるように読んだ。
不覚にも、伊藤氏の書いたあとがきで泣く。帰りの中央線で、涙がじんわりじんわり涌いてくるのが止まらず、ごまかしていたら本が終わった。伊藤さんも、石牟礼さんのようにはなれないなりに、石牟礼さんに本当に救われているんだな、と共感した。救われている、っていったって、本人は「まあ、おほほ」という感じの細い声で、ふわふわ笑っている半分病気でよれよれ歩く、ただのおばあちゃんなんだけど。
この間、母と神楽坂の紀ノ善であんみつ(母は抹茶ババロア)を食べたとき、祖母の話をした。 「バナちゃんが引っ越すんだったら、お布団新しく作ってあげられたらよかったね。おばあちゃんに、もう1つ綿入れしてもらっておけばよかった」 母はババロアをぽつぽつ口に運びながら、目に涙をためていた。90過ぎまで生きて、最後は老衰で逝った人間の死。寿と書かれたお金を渡されても、肉親にとっては悲しい。母の心残りは、祖母を家で死なせてあげられなかったことだという。「昔は皆、家で死んだ。病院で死ぬのは哀れよね」と。人はふつう家で死ぬのだ。そんなことを当たり前に知らないまま、大人になっている自分に気付く。
伊藤氏の文章を、最後に引用する。
病院で寝たきりの母は、娑婆にいたときは、ストレスをためやすい性格で、完璧主義で、娘に対しては支配的で……けっしてつきあいやすい母じゃなかったが、寝たきりになって、はじめて人生の苦労から解放されたみたいにリラックスしている。熊本に帰ると母の枕元に座って話すのが楽しい。もう話す内容もかぎられている。家族のこと、昔のこと、テレビのこと。それでも、はじめてこんなにリラックスした人格の母と向き合えたような気がして、話すのが楽しい。 この対談のおかげで、そう感じられるようになった気がします、とほとけにてをあわせるような気持ちで石牟礼さんに電話した(電話口だった)。 まあ、と電話の向こうで小さな声があがった。
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