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2007年02月03日(土) 旦那と女房

「女性は子どもを産む機械」と言ったおじさんのコメントが新聞に載っていた。「家内にしかられました」と。配偶者のことを「家内」と呼ぶ時点でおめえの思想は見え見えなんだよ、と憤りながら電車で日本語について考えた。以前も「彼氏」のことを何と呼ぶかについて書いたことがあったが、「wife」「husband」をニュートラルに言い換えた言葉がなかなかないなと思う。気にしすぎなのかもしれないが。

私は町田康が使っている「家人」がいいと思う。男女両方に使えるし。しかしこれは書き言葉だから違和感がないのであって、近しい友人と話していていきなり「家人は」という言葉を出すのはなかなか気恥ずかしい感じがする。

まあいいや、「夫」と「妻」がいちばん無難かもしれないな、などと考えながら広辞苑でいろいろと意味を調べていたら、「旦那」の項目に驚くべき記述を見つける。

だんな【檀那・旦那】
1)(仏)(梵語dana)布施、(梵語danapatiの略)仏家が、財物を付与する信者を呼ぶ語。施主。壇越。檀家。今昔物語集(13)「持法成人は偏へに−の訪ひに懸りて豊かなることなし」

2)家人召使いが主人を呼ぶ語。

3)妻が夫を呼ぶ語。また、妾や囲い者の主人。
4)商人・芸人などが得意客を呼ぶ語。

(※広辞苑より)

普通に「ウチのだんながさあ」って会話で頻出する言葉に、こんな恐ろしい意味があったとは! まあ「主人」もそうよね。



……と、こんなことを考えたかというと、昔の『ku:nel』に向井万起男さんのエッセイを今さら見つけて、それがすごく良かったから。向井さんは千秋さんのことを、女房、女房と書く。これが自然で、なじんでいて、俺は女房が好きだ!という気持ちがこちらにも伝わってくる。この人の著作『君について行こう』もぜひ読んでみようと思う。

私は基本的に「俺についてこい!」男は嫌いだし、女だから、男だからという価値観には賛成できない。しかし、この手の議論は気にしだすとホントに難しいな、と最近ちょっぴり分かってきた。

たとえば避妊具の購入。私はどうしてもレジに持っていくのが嫌で、生まれてから一度も自分で買ったことがない。売り場の前を何度も何度も行ったり来たりした末、結局プライドが邪魔をして手に取ることができずに終わる。もし男女同権を訴えるなら、避妊という共同作業を相手に一方的にゆだねるのはいかがなものだろう。それからレストランでの「ちょこっとおごり」。お会計が2390円だったら、たいてい私の支払いは1000円にしてもらえる。

こうした優遇を受けながら、「男女同権でしょう」と主張ばかりするのは、なんだかずるいんじゃないかと、後ろめたさもちょっと感じているのです。まあこんなこと考えてもモテないので、今日は寝ます。





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