2006年10月11日(水) |
アドレナリンと『グロテスク』 |
仕事が暗礁に乗り上げ続けているため、会社に泊まるかタクシーで帰る日が続いている。一度会社に泊まると2日目は妙なアドレナリンが出て仕事が進むが、それはあくまでアドレナリンのせいなので気を抜くと突然睡魔が襲ってくる。今日は家に帰ってきた。まだ、アドレナリンの続きでこの文章を書いている。
このおかしいテンションの時に、今読んでいる桐野夏生『グロテスク』がぴったり合う。東電OL殺人事件が元ネタの小説だと聞いて読み始めたのだが、(今のところ)ワタナベヤスコだけの話ではないらしい。
アドレナリン状態で、ある女子校の物語に身を任せる。すると、中学生の頃の自分の悪意が次々に思い起こされ、妙な気持ちになる。
中学の頃は、まわり中の子が全員敵だと思っていた。あのクラスのグループ分けが怖いから友人を作っていた。しかし、そんなことは心の奥に(もしかしたら自覚さえせずに)しまって、私はきらきらしたグループに所属していた。私は成績もスポーツもトップだという特権ゆえ、顔の美しい女子たちで形成される最も華やかな集団に入ることができた。
美しい彼女たちと並びながら、自分のどうしようもなく平凡な容姿に思春期特有の期待を抱き、その逆に失望し、生きていたのだ。
私が想起する田舎の公立の中学校における生きにくさと、『グロテスク』の名門私立女子校(高校)の生きにくさは、種類も設定もまるで違う。それなのになぜか、心の奥にしまっていた妙な気持ちが立ち上がって、私はこうして書かずにはいられない。
もうすぐアドレナリンが切れるので、中学校時代の私は消える。私はそれを恐れ、それを望んでいる。
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