2006年08月16日(水) |
病気でした、伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』 |
過日の日記で「風邪をひいたけど治した」と書いたが実は治っていなかったらしい。先週月曜日、無理をして会社に行ったら次の日、完全にダウンしてしまった。
火曜の朝、のどがやられて声が出ない。唾を飲み込むときにこの世の終わりのような傷みが全身に襲ってくる。はいつくばりながら病院に行って体温を測ると、デジタル画面に「39度」とある。驚いて、「絶対違うと思います。違います」と看護婦さんに別の体温計を出してきてもらったが、数字は変わらない。仕方なく会社を休んだ。疲れがたまっていたのだろう。
病気をすると、普段放っておいている自分の体と否応なく向かい合うことになる。養老孟司の「人の体は毎日変わっているんです」という言葉を何度も思い出した。
特に面白いと思ったのが、「睡眠」と「入浴」。眠る前後とお風呂の前後では、明らかに体の中の何かが変わる。突然のどが痛くなったり、鼻水が透明から黄色に変化したり。不思議だ。風邪をひいているときは、それがいい方に転ぶのか暗転するのか分からず、ビクビクしていた。
夕方過ぎ、薬が効き始めて少し落ち着いたのでキオスクで買った文藝春秋の芥川賞を読む。伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』。中吊りに「格差社会の底辺の純愛!」みたいなことが書いてあったので気になったため。
フリーターの話。物書きになりたかったけどなれなくて、結婚したけど離婚して、自動販売機にカンを詰めて回っている男の子の話。
アッという間に読めて、良いのか悪いのか分からず、しかしそれでも「リアルな感じ」はあるのできっと良いんだろうなあ、うん、とぼんやり思いながら同誌をぱらぱらめくっていると、選評のコーナーに目がいく。
今まで気付かずにいたが、芥川賞掲載号の、この選評というものこそ最上のエンタテイメントであった。最近読んだどの小説よりも、もちろん伊藤たかみを遙かに超えて、面白かった。
芥川賞の選考委員は、池澤夏樹・石原慎太郎・黒井千次・河野多惠子・高樹のぶ子・宮本輝・村上龍・山田詠美の8人。それぞれが今回の最終候補に残った作品について意見を掲載している。
の、だが。
ほとんど全員、候補作品すべてへの悪口が渾身の力で書かれている。正確に言うと、文学界にぱっとした人が現れないことを、とにかく嘆いている。
宮本輝は「今回は該当者なしでよいと思ったが、2人の選考委員が○をつけてしまった」石原慎太郎は「作品が送られてきてすぐに読んだが審査当日まで記憶が残らない」村上龍に至っては選考を欠席、文書で回答(悪口)を寄せている。たまに性格のいい山田詠美あたりが「ここはよかったよね」みたいにフォローしているのがさらに面白い。
私が読後に感じた「いいのか悪いのか分からない感じ」は、当たらずとも遠からずだったのかもしれない。良いのか悪いのか分からないけど、たぶんいいんだろうな。こういう作品は、人生を変えてくれる作品にはならない。
深く共感した選評は次の2つ。「どの作品も登場人物が、物書きか物書き志望、出版社勤務など。そんな世界つまらん」という意見(山田詠美だったかな。ほんとにそう思う。作家みたいな人が悩んでいるところを見たいんじゃない)、「現代の生きにくさを伝えるものはテレビでもどこでもやっているし、みんな知っているんだからもういいじゃないか」という意見(ほとんどの選考委員が言っていた。池澤夏樹は「どうしてビョーキの話ばかりなんだ」と。確かに飽きたし、そんなの魚喃きりこあたりが書いて、勝手に映画かでもされればいい)。
最近の作家の小説に対する悶々を、偉い(選考委員のメンツってどうよ、という意見は知っているけど)先生方が言い得てくれた気がして、うれしかったのだ、私は。
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