2002年12月29日(日) |
「わたしの表現は、名前を知っている人、そして顔も見える誰かに向けて成立しているだけでいいんです。」(椎名林檎) |
■「椎名林檎復活」。
イブに友達と鍋をした翌日の帰り道、 平日昼間の赤羽駅でJAPANを見つけた。 久しぶりにお金を出して買った。
鹿野さんのインタビューを、 帰りの高崎線で食いつくように読んだ。 興奮していた。
北埼玉の田舎道を歩く私と 歌姫椎名林檎がこんなに近くにいるということ。 いい記事でした、ありがとう。
■「わたしはあきらめないスペシャル〜運命を変えた言葉」 清原和博、向井亜紀、赤井英和のインタビュー。 就職活動の自己PRで使ったら即採用になりそうな半生だった。
頂点→どん底→浮上という 非常にきれいな物語。 きれいすぎだよ、バカ。 でも泣いてしまった。特に清原のに。
「ずっと四番だったし、ライオンズ時代はけがをしたことがなかった。 自分がそうなるまで、 2軍の選手や代打の選手のことなんて、考えたことがなかった」
彼が「浮上」できるかはまだ見えていない。 ドキュメンタリーが作れるような復活劇を見せてくれるのか、 けがで引退するのか、 誰も知らない。
でも、既に、かっこいいんだよね。 二軍の人たちに「ありがとう」って書いた色紙を送ったんだって。 いい話だ。みんな好きだよ。内定来るよ。
私、斜に構えすぎだよな、と反省した。 世の中にナンセンスなことが溢れていることぐらい みんな知っている。 それでも泣きたいから、物語を欲しがる。 私だって、欲しがっていたんだ。
清原が代打で三振し、 2軍でもゴロを打ってしまった映像を 延々一時間流している番組を誰が見るというのだろう。
私は何を伝えたいのか、 本当に伝えたいことがあるのかを考えたとき 非常に複雑な気持ちを抱かされた番組だった。
それにしても、「エロ・グロ・ナンセンス」を主題に チケットが売れまくっている松尾スズキ様の才能に改めて感激。
私が「この人のために本を作りたい」、と想定する読者たちは このインタビューを見て何を感じるのか。
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