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2002年08月13日(火)

高校の友達と飲んだ。
久しぶりに会ったら浪人して
看護学校に行ったのに休学している子がいて驚いた。

私の友人には世間でいう「普通の」人生を
敢えて選んでいない人が多くて、
こういうことを言うのは失礼なのかもしれないけれど
とても尊敬する。

「じゃあそうすればいいじゃん」て
あなたたちは言うのでしょうけれどね。

いつの間にか何日も過ぎているのが
なんだか恐いので(受験の時みたいだ)
毎日目標をもって過ごそう。

暇な時に漠然と考えたことを。

”どうして手紙を書くのが好きなのだろう”

その人の書いているものを読んで、活字から想像していた感じと
直接会った時(有名人だとテレビで話しているのを見た時)の
印象が異なる人というのがいる。
というかぴったりの人というのはあまりいないのかな。

この人活字の時のほうが好きだなあと思ったり、
その逆だったりもするのだけれど
世間一般の価値観として『対面』重視の傾向はあるのだろう。

だから面接がある、ネットにも「オフ会」が存在する。
ミュージシャンのライブはファンにとっては大切なものだ。

でも私にとっては、結構その人の書く、『活字』が重要だったりする。
うまいこと書ける人が好きとかそういうことじゃなくて、
書く文章に、その人の本質が凄く表れる気がするから。

例えば活字と実際に話す言葉が、分裂病みたいに
全く違う人というのがいたとして、
私達がどちらの人格を信じるべきなのかって、
簡単に答えの出せる問題なのかしら。

「好きな人と一生文通できるなら結婚しなくてもいいや」
と友達に言ったら
「嘘−会えないなんて嫌だよ−」と
いう答えが返って来たのだけれど、
別に冗談で言ったわけじゃなくて、そういうコミュニケーションを
本気で求めてしまう時もあるのだ。

活字というのはぶつかりあうことをしない。

そのことがはらむ両義性を否定するつもりはないし、
私の場合、混乱して支離滅裂に話す話題は、
結局書いても支離滅裂だったりする。

しかしそれでも私は手紙を書くのが好きだ。
手紙で暖かい文章を書ける人も好きだ。
ふだんは強いのに
手紙では突然弱くなる人も好きだ。
メールで絵文字を使う人を見ると、なんとなく可笑しくなってしまう。

そしてこの文章も支離滅裂ね。
ごめんなさいね。


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