日記
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2002年01月22日(火) |
そんなわけで、 『ポプラの秋』 の感想などを。 |
そーいえば此処に書きそびれてましたが先週自動車免許無事取得しました。 結構嬉しかったです。
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感想というものは少なくとも一晩置いて静めておけば少しは感情的なものに支配されていた状態よりはまともになるものだ。つまり、冷静になるものだ。例えば夜中に書いた手紙を次の日改めて読んでみると顔から火が出そうになるほどこっぱずかしい言葉でいっぱいだったりとか、そーゆーのに通じるところがある。(あるか?)例えば、いろんなものが混ざった水の入ったコップを、一晩そうっと置いておけば大抵の目に見える不純物は沈殿し少なくとも見た目は澄みきった水になる。しかし沈んでしまうのは「不純物=余計なもの」だけとは限らなくて。あああなんだか何を言いたいんだか。 つまり一晩置いて冷静になってしまうと良いこともある反面素直な感情に身を委ねる事など出来なくなってしまったり。
だから感想なんてうまく書けません。 別にうまく書く必要ないんだけど。 そんなわけでこれから書くのは感想というより・・・。
読んだのは 湯本香樹実さんの 『ポプラの秋』 という本です。 新潮文庫になってます。
私は記憶力があまり優れていない人間なので小学生の頃の記憶って曖昧です。ところどころ、くっきりと鮮やかに蘇る映像は頭の中に刻まれているけれど。それでも。転校する時「わたしたちの事、絶対にわすれないでね。」と涙を流してくれたたくさんの友達の顔や名前さえ、随分とぼやけてきてしまいました。(トシですかね。) 4年生までを過ごした小学校の校庭には、大きな大きなポプラ並木がありました。さすがに数は憶えてないけど6〜7本はあったと思う。ほんとうに大きな大きな木でした。現在では30mを超える高さを誇っているみたいです。10年前だから、それよりは勿論低かったはずだけど。それでも、20mくらいはあったのかなぁ。(誰かポプラの成長スピード教えて。) わたしのこころにしっかりと刻み込まれた風景がある。例えば、白い綿毛が舞う季節とか。例えば、全ての葉を落とし裸になっても堂々と聳え立っていた存在感とか。夕暮れに長く長くどこまでも長くのびている影とか。 わたしはポプラの木が好きだった。と、言うよりむしろその小学校そのものが大好きだった。小学校のスローガン(?)が「ポプラのように 強く たくましく」とかいうものであったことからも、いかにポプラが小学校にとって大きな存在であったかがうかがわれるようだ。
・・・・・「うかがわれるようだ」ってアンタ。 自分で書いてて失笑するしかない。うーん結局感じたことをことばにするってとっても難しいことなのです。そんなわけで、今の私には、どうやら無理みたいです。
例えば、主人公と自分とを重ね合わせてしまう部分もあった。勿論、境遇や考え方、感じ方など違うところも多かったけれどそれでも何かを感じたのです。 そして同時に母のことを。 「おだやかでおっとりと育ったお嬢さん」だった母が変わったのはやはり父の死を前後してのことだったようですが。(by祖母談) まぁ残された6歳と4歳の子供を女手ひとつで育てていくというのはそれはもう私の想像も及ばないほどにきっと大変なことがたくさんあったのでしょう。彼女は20歳の時に父親を亡くしているんですがそれとは全く異なる状況や立場。責任の重さ。きっと辛かったんだろうなぁ。当時の私は幼すぎ、自分のことで精一杯でした。責任感の強さ(幼少時のみ。)ゆえにわたしなりに母親を気遣っていたつもりでしたが、それでも。もっともっと、してあげられることはたくさんあったはずなのに。まぁ実際は4年後に再婚してますので、たいして長い期間ではなかったのですが。今思えば。しかし、現在もその時に築きあげられた気性の激しさや逞しさはしっかり健在です。人類の99%が滅びても彼女はきっと残りの1%に入っているに違いない、と私は大真面目にそう思ってます。
再婚してくれて本当によかった、と。こころからそう思っています。 父はとてもやさしい人です。母は、なんだかんだ文句も言いながらも結構幸福そうです。少なくとも、わたしにはそう見えます。 わたしも今は、「親孝行したい」と思っています。 ただ、一緒に住む(ひとつ屋根の下で暮らす)ということは、無理だと思います。ありえないです。少なくとも、今は100%有り得ないです。ただ、いずれ両親が老い、どちらかが先立った時には、のこされたどちらかの面倒はみるつもりではいます。まぁこんなこと考えるようになったのはごくごく最近のことですが。 昔から、父の面倒はみるつもりでいました。それは、単に「恩をかえしたい」とかいうだけのものではなく。わたしにできることはなんだろう、一体わたしは父になにをしてあげられるんだろうか。ことばでは言い表せない感謝とか大好きだって感情とか、一体どうやって伝えることなどできるだろう、などと色々考えた結果当然のようにすぅっと導かれた答えのうちのひとつであったわけです。 ただ、母に対してはまだまだ消えないわだかまりが大き過ぎて。いくら血の繋がった母親だろうが世話なんてするつもりさらさらありませんでした。でも、これからわたしもゆっくりと大人(ほんとうの意味での)になっていく過程できっと、大きなかたまりも少しずつ少しずつ溶けていくのではないかな、と思うようになったわけです。 まぁ、「世話」なんつってもまだ2人とも40代なわけですし。当分先のことになるわけで今はなんとも言えませんけどね。大体、「世話」なんて言葉自体なんか恩着せがましくないか??なんか偉そうでやだな。つまり「一緒に暮らす」ってことなんですけどね。 私には一応弟もいますがあいつはまぁいないようなものだから・・・・・。
そんなわけで結局まとまりのないまま終わる。
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