日記
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2001年12月02日(日) 儚きもの  だからこそ愛しいと同時に



日曜の新宿伊勢丹化粧品フロアは久し振りでなんだか人酔い。
これだから日曜は嫌い。しかも夕刻。激混みな時間。
(ひとりならば行かないのだが友人の付き合いで。)
これが街中の人ごみの流れなら全く平気なので
化粧品フロアのあの混沌とした、しかしどこか殺伐とした、
澱んだ空気と多様な匂い、人間の欲望の感情が混ざったような
見た目だけ華やかで酷く寂しい (そしてなによりあの人の多さ!)
そんなものを感じで、疲れるのか???


・・・・・意味不明。


そしてその場でふと不思議な気分に襲われた。
この場に存在する人間(女性ばかりだけど)ほぼ全員が、
どんなに遅くても60年後くらいにはみんなこの世に存在すら
していないのだなぁ、なんて。
いやほんとごく当たり前のこと。
つまり、
化粧品なんて消耗品に過ぎなくて。
おそらく今日購入されているものの殆どは、一年後には・・・・
使い切り消え去っていくのならまだしも、
飽きられるものも多数。誰も手に取らなくなるようなそんな儚い命。
商品サイクルは限りなく短い。
女性の「美しくなろう」という意識を私はとても愛するけれど
同時になんともいえない矛盾を感じてみたり。


消えゆくものへの
儚さを愛すると同時に
理屈では説明のつかない空しさ

こんな感情、理屈で片付けようとすること自体、
そもそも間違いなのだとわかってはいても。



昨日のような日記を書くのはとても楽しい。
「好きなこと」について、只思いつくがまま。
でも、読んでいてどこか寂しいね。

物質的なもの、表面的なもの、中身などなくて
思考を停止させることさえできて
そんなものは本当に必要ですか?
私には、必要なんだと思います。
ただ、昔ほどそんなものばかりに頼らなくてよくなったって事だけで。
(きっとそんな気がするだけで。)


昨日、「武装」と書いたけれど。
根本的には、現在もさして変わってはいないような気がします。

高校生から大学2年生くらいまでの自分は、
「口紅を塗らなきゃ外出できない!」なんて
大真面目に思っていたのですよ。
今だから、笑えるのです。
今は勿論、そんなある種思春期特有の(?)思考など
閉鎖してしまったけれど(つまり当然口紅ナシでも平気って事。)

すっぴんで街を歩けるかっていわれたらそりゃ無理ですよ。
でもそれは自意識の問題だけではないし、
ある程度の年齢以上の女性ならば誰もがそう思うはず。

「みだしなみ」とか、そういう次元のことでもあるしね。



中学生の頃の自分は、まだ幼くて。
ほのかにくちびるが あか や ぴんく に染まるほどの
「色付きリップクリーム」を集めるのが
とても、好きで。
1本、500円くらいだったかなぁ。
中2〜中3で、結局10本近く、集めたんじゃなかったかな。


もともと、そういう「おんなのこらしいもの」に、
憧れがあって、大好きで。
多くの女の子が抱く感情と、全く等しいように。


それでも、いつのまにかゆっくりと
自分なりの「美意識」というものが
客観的につかめなくなって、いったような ある種の欠如が
今はなんだか、恥ずかしいものだ。

別に、「後悔してる」って気持ちは、さらさらないけど。
だって楽しかったも〜ん!




本当はね、
物質的な、表面的なものばかりで
みたされている振りをしてみても
ちっとも、みたされることなど、ないのよ。


私の欲しいものは、
欲しかったものは、
もっと精神的な充足感だったり、
安心感だったり、安定感だったり、「あたたかさ」だったり。
でもそんなものは、何処にも「売ってはいないから。」

だから、人は皆
代替品を求めて、
彷徨ったりするのだろうか。
対象は違えども。




別に悪いことじゃないと思うのよ。ちっとも。
むしろ、「あたりまえのこと」

私は特に、お金の掛かる、趣味だとか、打ち込むものだとか。
そういうものを持ってはいないから。
だから、お金の使い道が
「化粧品」や「洋服」に主に振り分けられていく、だけのことです。
(あと食費)



好きなもので、「武装」している私がいるとして。
例えば、昨日さんざん並べ立てたお化粧品だとか
VICKYやらインプラ、プライベート・レーベルなんかの
お気に入りの洋服だとか
指先のマニキュアから脚を覆うブーツ、果てはヴィトンのバッグまで

全て剥ぎ取ってしまうとして

それで「私は私よ」なんて
堂々と、毅然と、していられる
「揺ぎ無い自信」なんて
なんとなく無いような気がする。


それは、「弱さ」なのかもしれないけど。
だからって否定する気持ちはないかな。


ああ、でもまさに「就活」なんて、なんだったんだろうね(笑)
って、思うけど。


就活中に、よくきかれたことば。
「リクルートスーツでは、個性が表現できない」だとかなんとか。

矛盾しているようだけど、わたしは、
こういう考え方は嫌い。

お前の言う「個性」なんてものは、
所詮、既成の洋服なんかに、頼らなければならないものか??

な〜んて、こころのなかで、思っていました。

まあ、確かに、
一部マスコミ、アパレル等を除けば、
地味で画一的過ぎる印象は否めなかったけれど。

それでも、
「みんなとおなじような」格好でいるからこそ、
滲み出てくるものだって、
あると思ったのだ。
(実際、某企業のGDで、「リクルートスーツの是非」を問う機会があって
 ほぼ同じような意見を主張したら通過した、なんてこともあった。)


それに例えば、パンプスひとつ、とったって
そのひとの印象が、がらりと変わる。
質のよさそうなものを、きちんと手入れして履いている人と、
言葉は悪いけどスーパーで買ったような安物の、
妙にテカテカしていてしかも磨いていないような、そんな人。


私もリクルートスーツなんて、だいだいだいっ嫌いだったけれど。

「姿勢」ひとつで、随分印象は違うものだったなぁ、なんて
今でもふと思う。

スーツに猫背は、似合わないからね。


私は、猫背なひとがいると、
背中をばん、とたたきたくなっちゃいます。
なんかね、自分の内臓まで圧迫されてるような気分になって(笑)
苦しいのですよ。


そういえば、小さい頃から
たくさんの大人たちに、やたら
「姿勢がいい」って、誉められていたけど。
大人になっても、ずっと。
わたしの、「唯一のとりえ」って、これくらいかも?
大学でも、大教室の、真ん中で
後ろのドアから入ってきた友人に
すぐさま見付けてもらえるほど。

いつも、背筋をぴんとのばして
偉いね、って、よく知らない人にも言われたり。
なんか、私の知らない人も、私のことを知っていたり。
「ああ、あの姿勢のいい人でしょ。」みたいな。
そんなはなしも、よく友人を通して、いわれる。


面白かったのは。
丁度去年の11月頃。
就活ムードが、本格化してきて。
学外講師を招いての就活ガイダンスが、行われるようになって。

2回目くらいの、ガイダンスだったかなぁ、
そんなに大きくはないうちの大学の講堂の、
それでもステージ側前半部分はいっぱいに埋まっていたような、
そんな中で。
なんだかいきなり、その外部講師おそらく30代半ばのとても綺麗な女性、が
「この列の、前から14番目に、座っていらっしゃる方、
 ステージの方に、上がってきていただけますか?」と、 言ったのだ。

なんだ?と思いながらも、他人事のようにボーーっとしていた私を、
なんだか周りの人がやたら見るので、「なんだよ??」とか思ったら、
まさしく、私で。
は?なんだよ?!とか動揺しながらも促されるままステージ上に。
で、その女性が声たからかに
「彼女のように、姿勢がうつくしいひとは、必ず受かります!」
「スーツは姿勢の良し悪しが露骨にあらわれるものだから、〜〜〜」
などなど。なんかステージ上で横向きにされたり、
お辞儀させられたり。なんだかな。

てゆーかあなた!そんなこと言って!
もし私が受からなかったらどうしてくれるのよ!

とかちょっと思ったり。


ちなみに、私のあとに、もう一人のひとが呼ばれて。今度は、
「彼女のように笑顔を絶やさずにいるひとは、とても印象がいいです!」
「もともと、笑い顔、のひとは、面接でとっても有利なんですよ。」
てな感じだった。


ちなみに私はいつもキツイ顔してるので、
笑顔の方はほんとダメなんだけど。
無理に笑おうとしても、ひきつって仕方ない。



私の就活は、結局全然器用には運べなくて
もうダメダメってかんじで今思い出しても辛いくらいだったけど(笑)


なんか話が大幅に脱線して最早何言いたかったのか、わからんけど
強く印象に残っていたことは
自分の中に、確固たる自己、そして意思を、持ち得ている人は強いな、と。
私の周りの人間含めて、就活全般を振り返ってみると、
ほんとそう思う。


結局ぼんやりと、ただ気持ちばかり焦りながら
流されるしかできなかった自分が、こんなこと言っても、
全然説得力の欠片も、ないんだけどさ。


「中身を見て!」とか言うひともいるけれどさ
外見だって、それなりに重要なわけですよね。
結論としては、スーツや靴やバッグは、
きちんとしたものを揃えるべきだし、
写真だってできれば有名なところで(私の周りは圧倒的に伊勢丹が多かった。)
撮ったほうがいいのだと思う。
それは、「みんなと同じにすべき」とかいうことじゃなくて、
つまり「まわりを固める」ことで、
精神的な落ち着きとか、安心だとか。
そういうものが、うまれるから。
些細なことで、気分が変わりやすくなる時期に、
それでもそれなりに自分で選んだものでまわりを固めていることが、
せめてもの土台になっていたような気も、しなくもないから。


確かにね、自分に対して揺ぎ無い絶対的な自信を持ち合わせてる人なんかは、
そんなもの、必要ないわけなんです。
「俺は外見じゃない!中身で勝負だ!」ってね。
そういうひとは、とても凄いとは思うけど、
私には到底、真似できないし。



強迫観念に、振り回されていた時期だったけど。
もし去年の今頃に戻れるとして?(笑)
私はどんな道を選んでいくんだろう、なんて
未だにわからないままだし。





そんなことつらつらと書いてるけど今日もそれなりに幸福なのです。
Dear Princess略してディアプリにて
非常にやわらかく肌触りのよいノースリタートルニットを購入。
かなり前から買おうかどうしようか迷っていたので
今日は何故か買っちゃいたい気分だったのです。
私は基本的に割と堅実な性格(?)なので、
あんまり衝動買いはしない。
余程「コレ!」ってものに偶然巡り逢った時でない限り。
カードも嫌いなので普段は使わない。
私の周りにカード破産寸前の女は何人もいるけど
ああはなりたくないものだな、といつも思う。

「自分」に見合わない値段のものを無理してまで欲しいとは思わない。
昔プラダやグッチやヴィトンが大好きだったときも
買えるだけの収入が、「自分」にあったから買っていただけ。
リボ払いにしてまで欲しいと思えるものではなかった。

(ちなみに高価なブランド物そのものが「自分」という存在に
 見合った物であるのか、という大きな疑問はこの際無視するとして。)

人間の欲望は果てしなく限りないモノかも知れないけど
「自分」の適正範囲(というのか?)、そういうものを
漠然と、でもいいからそれなりに認識できていない人間は馬鹿。

私は、
もしもどうしても欲しいものがあったなら貯金して買う。
そういう性格なんだから高価なものカード買いする気持ちには
どうしてもなれないわけです。

なにしろ親のスネカジリの学生ですし。
自分で働くようになったら、自分の責任の元
ローン組むのは大いに結構だと思うけど。(でも私はしないと思う。)
あ、さすがにクルマやマンションなんかの大物は別格としても。



さ〜〜明日から暫くヒッキーになってしまうつもり。
・・・・・・イヤだなぁ。(泣)

近所でいいから日に一度は外出するようにしないと、
昼夜完全逆転生活になってしまうから、気をつけていきたいものです。






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