日記
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2001年09月26日(水) 例えば、「基準」ってのは人それぞれで。それでも、 と 甘ったるいカフェオレを飲みながら思う事。

2日前の日記に、

  人間の本質は善であると 信じたい

というような事を書いた。



しかし所詮私の感情なんて物は浅はかなものなわけです。





「善」の基準がまず違うんだ。

「聖戦だ!」と本気で口にする人間もいれば、
「正義だ!」と本気で戦争を始める人間もいる。

私から見て、それは冗談だろう、なんて思えても、
本人達にすれば大真面目なわけですね。
私には、あくまで表面上のものしか、見えていないしね。



つまりですね、自分達が一番正しいと思っているのは良くないですね。
これは私にも当てはまりますけど、
彼等にも同じことが言えますね。


まぁ、私なんかには理解出来ない、
思想とか意思とか事情とか正義とか倫理とか歴史とか政策とか宗教の解釈とか
ぐるぐる絡まり合って存在し、人間を動かしているわけで、


つまりですね、全く根本的に考え方が違う人間同士が
解り合おうとしても無理なわけですよ。不可能なんですよ。
その前に、「解り合いたい」なんて、これっぽっちも思ってないでしょうな。


批判するだけなら誰でも出来るんですね。
「戦争は悲しい」と思っている人間はたくさんいるし、
私もそう思うけれど、

私はバカなんで、代替案なんて思いつかないんですよね。
仮に素晴らしい代替案を思いついたとしても、
実行する権力も能力も、持ち合わせてないしね。


そう、批判するだけならバカな私でも出来るけど、
じゃあ仮に、 

  アメリカが戦争を仕掛けるのをやめました。
  それで世界は平和になるのでしょうか??

そんな事は有り得ないってみんなわかってる。
それだけでは何も解決しないし、
おそらく対話も成立しないでしょう。


それでも私は、戦争は止めて欲しいし、
戦争で人間が殺される事がどうしようもなくただ悲しいし、

でもそれは私がそういう思考を持つような環境にいて、
そんな感じの教育を受けてきて、
「平和」と言われる国に生まれ育って生きてきて、


只それだけのことでしかないのよね。


勿論、それでも、アメリカにもパキスタンにもアフガニスタンにも・・・・
平和を願う人間がたくさん生活していて、
戦争なんか止めて欲しいと心から願う人間がたくさんいて、
絶対に、
敵対する国の人間がたくさん死んでも、
喜んではしゃいでいる人間ばかりではなくて。


でも、決定するのは権力をもっている組織の人間に過ぎないのだから。



例えば、世界中の人間が、
優しい心をもって、
平和を願って、
そうすれば争いなんて起こらない、

なーんて

有り得ないわけです。
本気で「聖戦」で勝利すれば素晴らしい世界が誕生すると
思っている人間もいるし、
「聖戦」で死ぬ事自体が「幸福」であると信じて疑わない人間もいるし、

本気で「正義」だと信じて
テロを壊滅させる事こそ「正義」だと
その為にはどんな犠牲も厭わないと
つまり自分達は紛れも無く「善」であり、相手は紛れも無く「悪」だと
そんな風に信じて疑わない、そんな人間もいるわけです。


つまりですね、誰もが、自分達の信じる「平和」に向かって
突き進んでいっている「つもり」なわけですよね。


平和を願う心は、
誰もが持っていると、信じている。
自分だけが正しいと思う心を、
少しだけ、開いてみれば、対話する気持ちを持って、
無意味なプライドなど 捨てて
誰もがそういう風に考える事が出来たなら。



結局そんな風に思ってしまう私は、
何処までも、平和ボケした日本人の一人に過ぎないし、
甘いんだろうね。





アメリカが、「戦争を仕掛けるのを止める」という勇気をもつ
それだけでもしかしたら何か変わるんじゃないか、って
思ってしまうどこまでも甘い考えを捨てきれない自分もまた、
どうしても否定出来ない事実だから。
(甘いよねーほんと。ブッシュ支持率90%だって、多分事実なんだもの。)




戦争なんてね、
兵士同士でやっててくれる分には構わないのよ。
勿論兵士だって人間なわけですしね、
自分の大切な人間だったら、やっぱり悲しいわけですけど

それでも、自分の意志で戦ってる人間については、
はっきり言って、勝手にやってれば、位にしか思わないんですよね。
まぁ、私の心が狭いってことだけどね。

でも、死ぬのは
殺される人間の大部分は、
何の罪も無い人間。
平和を望んでいる人間。
自分の意志とは関係なく、巻き込まれていく人々。

日々、必死で生きようとしている人間の生命を
たった一瞬で消し去ってしまう重さ。

考えられない人間は、
人間じゃない。



視野の狭い私は、
結局視野の狭い考え方の堂堂巡りだし、
結論も出せません。
何か、行動に移せるわけでもないです。
無力ですね。






とりあえず、
無力な私は、
自分の卒論だけでも何とかしないと。
逃げ回ったツケが、
回りに回ってそろそろ身動きできなくなってきました・・・・。
あーーーあ。
明後日ゼミがあるわけです。
そんなわけで、明日は神奈川県のとある場所に
行ってこなければいけないのよ。
実はね、
今年の冬から、
ゼミの教授に、行ってきなさいってしつこくしつこく言われ続けてたんだけど、
とりあえず無視してたわけよね。
就活、ってゆー大義名分、もあったわけでね。

しかし、前期は逃げ回ってきたものの、
後期はいよいよそーも行かないって事で、

本当は、今頃、そんな所に行ってる場合ではないんだけど、
とりあえず、他に何から始めていーのかわかんないから、
キモチの切り替えって意味で、
出掛けてきたいと思います。


本当は、ゼミの教授なんかどーでもよくって、
本当に親身になって相談に乗ってくれる先生が、
ちゃんといてくれるんだけど、
何しろ、自分の頭の中で考えすらまとまってない状態だから、
相談するって事すら出来やしないのよね。

困ったもんだ。私。
世界平和を憂う暇があったら、
まず自分の事何とかしろよ、って感じでしょうか。




10月1日には、内定式があって、
半年後には、社会に出て、働いていくわけです。
世界情勢なんか関係なく、
自分の生活ってモノは、
自分でつくっていかなきゃいけないわけです。


自分にとっては、戦争より重圧なわけです。
エゴイストですね。





それでも、平和を願う心ってモノは、
ちっぽけでも、何の役にも立たなくっても、自己満足に過ぎなくっても、
「だからってお前に一体何が出来るっていうんだ」って言われたとしても、


捨てませんよ、私は。
絶対に。








誰もがやさしいきもちをもつことができて
誰もが「おもいやり」のこころをもつことができて


    「違う者」どうし「解りあう」なんて事は絶対に不可能だけど


それでも、
「解りあいたい」って気持ちを
もつことができて
相手につたえようと 行動できたなら


かなしいことは 消えてなくなるっておもいたい。


yuri |MAIL

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